人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。世界的バレリーナとして活躍、現在は芸術監督として新国立劇場バレエ団を率いる吉田都さん。18歳のとき、留学先の英国で認められバレエ団に入団。厳しい競争の中、プロの踊り手としてのキャリアを築き始めます。

(1)踊る喜びと苦しみを切り抜けて
(2)生き残るプロは「自己満足しない人」 ←今回はココ
(3)闘いの日々から新たなステージへ
(4)尽きぬ情熱、新しい目標へ1つずつ


吉田都
新国立劇場芸術監督
吉田都 1965年東京都生まれ。83年に渡英。英国のバーミンガムロイヤルバレエ団のプリンシパル(最高位)を経て、95年に世界3大バレエ団のひとつ、英国ロイヤルバレエ団にプリンシパルとして移籍。2004年ユネスコ平和芸術家に任命される。07年、紫綬褒章を受章、英国で大英帝国勲章(OBE)を受勲。10年からフリーランスのバレエダンサーとして、舞台活動と後進の育成に力を注ぐ。19年8月「Last Dance ―ラストダンス―」公演を最後に引退。20年9月、新国立劇場舞踊芸術監督に就任。2月20日より、新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」を上演予定。

 1984年3月。ロンドンの暗い冬が永遠に続きそうな頃、留学していたロイヤルバレエ学校で、いつもとは違う雰囲気のレッスンがありました。内容は普段通りなのですが、大人の見学者がいて、クラスメートが緊張していることが分かります。当時、英語が不十分だった私は、その緊張が何なのか、よく分からないまま、平常心でレッスンを終えました。

 その後、数人のクラスメートとともに校長室に呼ばれ、「あなたたちはサドラーズウエルズ(現バーミンガム)・ロイヤルバレエ団に入団が正式に許可されました。おめでとう!」と笑顔で伝えられました。レッスン見学者のひとりは、同バレエ団の芸術監督を務めていたピーター・ライト卿だったのです。

 バレエ学校の生徒にとって、卒業後にバレエ団に所属できるか、つまりプロになれるかどうかは、人生の大きな問題です。先生の判断で途中で学校を離れることになり、泣く泣く、別の道に進む仲間もいましたので、在学中にバレエ団への採用を約束されたことは喜ぶべきことでした。実際、周囲の仲間たちは涙ぐんでもいましたが、そのときの私は、校長先生の言葉が何を意味するのかもよく分からず、「ああ、これでまた日本に帰ることができなくなる……」と、深い戸惑いだけを募らせたのでした。

 重度のホームシックにかかっていた私は、4月のイースター休暇に日本へ一時帰国することになり、久々に東京の自宅に戻って2昼夜、ただただ眠り続けました。それが効いたのでしょう。やがて気力と体力が回復し、再びロンドンでバレエ学校のレッスンを受けること、そしてバレエ団でプロとして踊るという未来に、前向きな気持ちになることができたのです。2度目に降り立ったロンドンの街は、イースターを境に、あきれるほど明るく、美しく、季節が変わっていました。