遠く離れた実家で、父が孤独死していた――。東京でフリーランスエディターをしている如月サラさんはある日、予想もしなかった知らせを受けます。如月さんは50代独身、ひとりっ子。葬儀、実家の片付け、相続に母の遠距離介護など、ショックに立ち尽くす間もなく突如直面することになった現実をひとりで切り抜けていく日々をリアルにつづります。

 今年の初め、遠く離れた故郷で父がひとりで死んでいたのが見つかった。昨年の夏、熱中症で倒れて救急車で運ばれた母は認知症と診断され、専門病院に入院していた。父はそのわずか5カ月後に、誰にもみとられることなくこの世を去った。

 母はその後、高齢者施設に入居した。独身でフリーランスの私は、父の孤独死とほとんど会話のできなくなった母の衰えをひとりで受け止め、残されていた4匹の猫を東京へ連れ帰ってきた。

 それから、遠く離れた東京に暮らしながら誰もいなくなった故郷の一軒家を維持していかなくてはならなくなり、東京と実家を往復する生活が始まった。そんな日々、深く考えたのが今後の仕事のことだった。

東京と実家を行き来する航空券代は、マイレージや早割を駆使して捻出している
東京と実家を行き来する航空券代は、マイレージや早割を駆使して捻出している

未知の世界へ向かう「移動」はあんなに楽しかったのに

 月に1回、東京から飛行機に乗って実家へ行き、1週間滞在してまた帰ってくる。こういう生活を始めてもう10カ月がたとうとしている。

 旅を趣味として、これまで世界40カ国あまりを歩いてきた。若い頃は、未知の世界に出合うための過程として楽しみで仕方なかった「移動」も、年齢を経ると負担の方が大きくなってくる。ましてや、同じ場所への毎月の飛行機での往復は、何か楽しみが待っているわけでもなく、心身へのダメージを少しずつ積もらせていった。

 月に1回実家に滞在しようと思ったのは、実家の風通しのため、そしてもう誰も着ることのない衣服や使うことのない食器の処分、そして膨大に残された父の遺品の整理のためだった。

 何かを捨てることを極端に嫌った父は、さまざまなモノを残していた。それは自身の部屋のみならず、他の3部屋と倉庫をほぼ占めるほどになっていた。私が生まれた頃からあるコロムビアのステレオ、ナショナルのテレビ、幼い頃に座っていたソファ、小さなアパートに住んでいた頃に使っていた水屋箪笥(だんす)、一時期流行したボウリングのボールとピン、趣味にしていたアマチュア無線の無線機……。

 着道楽でもあったので、三畳間に何本か渡した突っ張り棒にぎっしりと服がかけられ、クローゼットと化していた。カジュアルな普段着から数十年前に作ったスーツ、定年後の趣味だった社交ダンスの衣装。

 これらを整理・処分し、「まだ父が生きていれば」という未練に少しずつケリをつけていこうと思っていたのだ。私自身が今後ひとりで生き延びていくための儀式のようなものと考えていた。