遠く離れた実家で、父が孤独死していた――。東京でフリーランスエディターをしている如月サラさんはある日、予想もしなかった知らせを受けます。如月さんは50代独身、ひとりっ子。葬儀、実家の片付け、相続に母の遠距離介護など、ショックに立ち尽くす間もなく突如直面することになった現実をひとりで切り抜けていく日々をリアルにつづります。

 冬、遠く離れた故郷で父がひとりで死んでいたのが見つかった。その前年の夏、熱中症で倒れて救急車で運ばれた母は認知症と診断され、専門病院に入院していた。父はそのわずか5カ月後にいなくなってしまったのだ。

 母は退院したが、実家に戻って生活する能力はもはや残されておらず、自ら望んで高齢者施設に入居した。誰もいなくなった遠い故郷の一軒家を守っていかなくてはならなくなった私に降りかかったのは、実家にかかるさまざまなお金の問題だったが、それ以外にもあった。

 家は、手入れしないと傷んでいくということである。

初夏のある日、実家に着いて抱いた違和感

 父が亡くなっていたのは寒い1月の初めのこと。取り残されていた4匹の老猫たちを私が2匹の猫と暮らす東京のマンションに移し、その後も役所への届け出、さまざまな民間サービスの名義変更、停止などの手続きをするために月に1回、1週間ずつ実家に帰る生活が始まった。

 こんな生活を3カ月も続け、もう大きな手続きはほぼ終わったと思っていたある日、実家に着いたときに違和感を覚えた。

 庭に、雑草が生えている! しかも一面を覆うほどに。1カ月前とは全く違う様子に私は驚いた。寒い時期から季節は春、そして初夏へ。花々が芽吹き、咲き誇る季節は、望まざる雑草もグングン伸びる季節だったのだ。

冬から春になったらいきなり草ボウボウになった庭
冬から春になったらいきなり草ボウボウになった庭

 実家の土地は100坪あり、その3分の2が庭である。かなりの面積と言っていい。空へと伸びていたり地面をはうように覆っていたりと、雑草は種類によって高さも生え方もまちまちで、その荒れた様はこの家に誰も住んでいないという事実を強調しているかのようだった。

 実家を離れてそろそろ30年。いつ来ても庭の雑草に気づかなかったのはなぜだろうと考えて、すぐにその理由に思い当たった。

 父と母が、きちんと整えていたからだ。

 東京ではマンションに住み、たまに帰っては上げ膳据え膳で数日間滞在するだけの私は、一軒家を美しく保つための両親の努力をこれまで全く知らなかった。