急に襲ってきた重荷や不安に耐えきれず、多くの友人たちにメッセージをしたり電話をもらったりした。とてもありがたいと思った。でも中には、私の話が重すぎて負担になった人もいただろう。申し訳ないと思う。

 もっとも耐えがたい気持ちは、父を孤独死させてしまったという自責の念だった。なぜ、あまり連絡をしなかったのか。なぜ、母にばかり気を取られて痩せ細っていく父のことを気遣ってやれなかったか。何度も何度もそう考えた。

 しかし、父自身が、誰にも黙って死んでいくことを選んだのではないかとだんだん思えるようになってきた。カッコつけたがりの人だったから、誰の世話にもなりたくなかったのだろう。最後まで自分の力で生きると決めていたのだろう。

 父がいつも肌身離さず持っていたバッグの中を全部改めさせてもらった。底には、私の幼い頃の写真が1枚、入っていた。

セーフティーネットは機能しなかった

 残された領収書を見ると、大みそかまで近所に買い物に行っている形跡があった。2021年のカレンダーがいくつか買ってあり、家のあちこちにぶら下げてあったけれど、表紙がめくられていなかった。

 年賀状を15枚買ってあったけれど、なくなっていたのは2枚だけだった。いつも私にも年賀状をくれるのに、今年は来ないなと思っていた。

 なめるように新聞を読み赤線を引き、抜き書きするのが好きだったのに、取り込んだ1週間分くらいは読まずに積み上げてあった。読む気力が残されていなかったのだろう。

 新聞といえば、この地元の新聞社は「○○販売センター県内○店のネットワークは、独り暮らしの高齢者や子どもたちが安心して地域で生活できるよう活動する『○○見守り応援隊』として、県、県警、県社会福祉協議会、県民生委員児童委員協議会と協定を結んでいます」と言っている。そのセーフティーネットは機能しなかったんだな、と思った。