趣味ではなく、「女として生きていきたい」

 ゲイバーのママの誕生日での初女装から1年半たった頃。努力の甲斐あってか、少しずつ外見も女性に近づいて行きました。

 同時に「自分は単に女装したいだけなのか」、それとも「女性として社会の中で生きていきたいのか」と、何度も何度も自問するようになりました。趣味でいいじゃないか。会社で波風起こさなくても、と。

 当時、会社では私の風貌の変化が社員の間で噂になっていました。それも直接私に言うのではなく、周囲の人たちに「総務部長、大丈夫なの?」と。総務という仕事は、社員から様々な相談を受けるお母さんのような存在です。何かを心の底に隠したままの総務部長では、社員との信頼関係は保てません。

 ちょうどそのころ、親会社がLGBTについてビジネスも含めて積極的に取り組み始めたということも知りました。今まで日陰だった性的少数者の話題が真面目に語られるようになってきたのです。

 「カミングアウトして女性として生きていきたい」。でもうまくいく保証なんて何ひとつない。

 悩んだ結果、私は被害が最小になるよう「食卓」を整理して、一気にちゃぶ台をひっくり返すことを選択しました。そう、カミングアウトのメール送信です。

 送信後、すぐオフィスを退社しようと、メールのタイミングは金曜日の終業後17時31分と決めていました。本文の背景はLGBTカラーと呼ばれるレインボー色。逃げるようにオフィスを後にしながらふと振り返った営業部門のデスク。ずらりと並んだPC画面が、開いたメールで虹色に染まっていた光景は今でも忘れられません。

 「総務部長の私はこれから女性として生きていきます。どうかわがままを許してください」

 もう、戻れない、戻らない。オフィスを背に歩きながらの心の呟きは、8年後の現在の私に直結しています。

「総務部長の私はこれから女性として生きていきます。どうかわがままを許してください」と全社員にメールを送った岡部鈴さん。8年たった今も、全く後悔していない
「総務部長の私はこれから女性として生きていきます。どうかわがままを許してください」と全社員にメールを送った岡部鈴さん。8年たった今も、全く後悔していない