サッカーの見巧者である中西さんを引きつけたのは、徳永選手のフィジカル面の強さだった。「海外の選手とぶつかっても当たり負けしない強さにまず引かれました。体の強さというのは持って生まれたもので、練習して身に付けられるものではないと思うんです。さらに、プレースタイルとして非常にクレバー。サッカーを長い間見ていると、戦い方で分かります」

 徳永選手のプロ入りに際しては、FC東京を含む多数のチームからオファーが殺到。強豪チームも名乗りを上げるなか、当時J1昇格間もないFC東京を選んでもらうため、中西さんは一計を案じる。「影響力のあるサポーターに相談したところ、その人の声掛けで早慶戦にFC東京のサポーター200人が来てくれたんです。旗を持ったり横断幕を出したりして、FC東京のサポーターの熱意をアピールできました」。そうした応援活動のかいもあり、徳永選手は2006年にFC東京へ入団した。

苦境に立つときこそ絶対応援に駆け付ける

 プロ入り後も3年目くらいまでは、ホームもアウェーもほとんどの試合を観戦した中西さん。しかしその後、更年期障害で数年間体の不調が続き、試合観戦を休むことに。「そうこうしているうちに景気が悪くなって、私自身の収入も減って。前みたいにどこへでも出掛けられる状況ではなくなりました。でも、選手がプロになって応援してくれる人がいっぱいいるときは、私が応援に行かなくてもいいんです

 反対に、古参のファンとして絶対応援に駆け付ける場面。それは、選手が苦しい状況にあるときだ。2017年、長年不動のレギュラーメンバーとして試合に出場し続けてきた徳永選手が若手とのポジション争いに直面していると知ると、このシーズンはほぼ試合会場へ足を運んだ。

 その後徳永選手は出身地のチームであるV・ファーレン長崎への移籍を決断。内心ショックだったが、地元チームのためにという徳永選手の決断を尊重しようと考えた。

ユニバーシアードからFC東京、日本代表、そして現在所属するV・ファーレン長崎まで、徳永選手の足跡がたどれる応援ユニホームの数々。「家にはこの3倍あります。死ぬときは全部棺桶(かんおけ)に入れてもらいます(笑)」
ユニバーシアードからFC東京、日本代表、そして現在所属するV・ファーレン長崎まで、徳永選手の足跡がたどれる応援ユニホームの数々。「家にはこの3倍あります。死ぬときは全部棺桶(かんおけ)に入れてもらいます(笑)」