東日本大震災で決意。インディからメジャーへ転職

―― 独立系配給会社の最大手であるギャガ時代には、社長まで上り詰めていたそうですね。

星野 たったの半年ですし、私のキャリアで特筆することではありません。ギャガはUSENグループの傘下だったのですが、09年に手放す事になったんです。その事業譲渡(MBO)までの期間「社長をやってくれ」と言われて。半年後には宣伝担当の取締役執行役員に戻りました。

 そもそも、勝間和代さんじゃないですけど(注:『インディでいこう!』という著書がある)、私は基本的にインディ派なんです。みんなが右へ行っている時に、立ち止まって本当にそっちでいいのかな? と考えるタイプ。映画でも、一見マイナーでも個性が突出して輝く原石のような映画を発掘できるインディの立場にすごく意義を感じていました。その頃、メジャー系の映画会社パラマウント・ジャパン(以下、パラマウント)への転職を誘われていたのですが、そんな理由もあって当初は断っていました。

―― インディ派だった星野さんが、後になぜメジャー系への転職を決意したのですか。

星野 大きな転機は、2011年に起きた東日本大震災です。世界が一瞬にして変わる、人生があっという間に終わるということを目の当たりにし、これまでと違うことを考えてみようという思いが芽生えました。最終的には、そろそろ宣伝マンとして次のステージに挑むタイミングかも、と考えて転職を決意しました。

 全国区の大作を多く手掛けるメジャー系のパラマウントに転職した時、恐らく周囲の人はいぶかしがっていたんですよ。「インディ系から来た人に何かできるの?」って。でも、私はそういう状況での仕事が一番好きなんです。

―― えっ。普通はできるだけそういう境遇にはなりたくないって考えがちですけど……。

星野 私は逆に楽しいと思ってしまう。例えば「絶対にこの映画はヒットしない」と思われている仕事や、厄介な人が関わっていて誰もが嫌厭するような仕事に手を挙げてやり遂げることが楽しいんです。「どうせ失敗する」と期待されていないからこそ、自由にできるじゃないですか。「この状況でできるの?」みたいなときに力を発揮するタイプと言いますか。

40歳を迎える年に東京マラソンに挑戦し、6時間かけて完走した。「死にそうになりながらなんとか完走しましたけど、2度と走らないと思います。その後、10kg以上太ってしまいました…」
40歳を迎える年に東京マラソンに挑戦し、6時間かけて完走した。「死にそうになりながらなんとか完走しましたけど、2度と走らないと思います。その後、10kg以上太ってしまいました…」

―― パラマウントへ転職した5年後、日本オフィスがクローズされることになったんですよね。

星野 その時47歳。突然のことに「マジか!」とびっくりしました。そして、その転職活動で、私は想像もしなかった大きな壁にぶち当たったんです。