人生を変えた被災地ボランティア。年400時間の活動

山崎 上司に「他人のことを気遣っている場合か。数字が上がらなければ会社にはいられないぞ」と言われたんです。その時は「何てことを言う上司だ」と思いましたけれど、今振り返ると、そのおかげで目が覚めたんです。当時の私は、仕事で強烈な個性がありませんでした。キャラが立っていないというか。「○○と言えば山崎」みたいなものが全くなく、何となくいい人、みたいな。自分の特徴もつかみきれていないままに働いていました。

 自分は何者? お客様や社内に何をアピールする? ……今は何もない。だったら「社会貢献といえば山崎、山崎といえば社会貢献」と言われるまで徹底的に活動しようと決意しました。そうすれば、「社会貢献に興味がある」と言うお客様がいれば、「山崎に聞こう」となる。当然ながら、バンカーとしての仕事もしっかりしなければ許されません。自分の居場所を守るため、仕事にも一層力を入れるようになりました。

 仕事とボランティアの両輪をひたすら回し、12年は年間400時間ボランティアを行いました。その後は震災支援だけでなく「多様な子どもたちの架け橋プロジェクト」など4つのプロジェクトに関わり、毎年ボランティアアワードを頂いています。今となっては「仕事」と「ボランティア」の垣根があまりないんです。給与をもらうかどうかだけで、どちらに対しても大きな責任を感じています。

ボランティア活動中の一コマ。昨年は、会社のボランティア活動に社内トップの260時間を費やした。震災だけでなく、子供の教育に関わるボランティアに積極的に関わっている
ボランティア活動中の一コマ。昨年は、会社のボランティア活動に社内トップの260時間を費やした。震災だけでなく、子供の教育に関わるボランティアに積極的に関わっている

―― 山崎さんが今、「働く使命」とは何ですか。

山崎 それに関しては、明確なビジョンを持って働いています。「なりたい自分を見つけてなりたい自分になるためのチャレンジをする、その機会を皆に平等に持ってほしい」ということ。そんな社会ができたら素晴らしいなと思って働いています。なりたいものをつかむかどうかは、最後は本人次第です。その前の「チャンス」が平等にある社会。スタート地点に立ちたいと願って頑張る人には参加する権利を与える。そういう社会は健全だろうなと思っています。

―― 今年は節目の50歳ですね。この先、50、60代をどう生きたいですか?

山崎 おととし、これぞ天職! と思うものに出合ったんです。