中川 実は昔から「初」という言葉が大好き。プレッシャーはありますが、まずはやってみて、だめだったら考えればいいと思っています。「初」を私が引き受けることで、後輩への道も開ける。チャンスを潰してはならない。そう考えて、走ってきました。私は「同じチャンスは二度と来ない」と思っていて、後輩にも伝えています。チャンスが巡ってきたらつかむ。まずはやってみる。それが大切です。

子どもが3歳のとき海外へ単身赴任

中川 20代後半で社内結婚し妊娠しました。当時は育児休業制度はなく、14週の産前産後休暇を取って仕事に復帰しました。会社もまだ慣れていなくて「産休? レポート用紙に期間書いて提出して」という感じで(笑)。このときは東京で働いていたのですが、大阪の実家に子どもを預けて週末に会いにいく……という方法を取って仕事と育児を両立しました。私を生んだ後も仕事を続けていた母親も「女性も自立する時代。何かあったとき、自由に決断できるように、仕事は続けなさい」と言っていて、応援してくれました。

 子どもが3歳のとき海外赴任の打診を受けました。グアムとマレーシアにホテルを開業するので、オープニングスタッフとして立ち会わないかという話でした。子どもはかわいいから離れたくない気持ちもある。でもここで断ったらもう私にこういうチャンスは二度と来ないかもしれない。さらに次に続く女性のチャンスをも奪うことにもなるかもしれない。葛藤しましたが、夫や両親が背中を押してくれたので、まずは行ってみよう、行ってみて何か不都合があればそのときに考えようと、任務を受けました。

産休取得すらまだ社内では珍しかった時代、小さな子どもがいる中川さんへの海外赴任打診は異例のことだった
産休取得すらまだ社内では珍しかった時代、小さな子どもがいる中川さんへの海外赴任打診は異例のことだった

―― 海外での単身赴任を小さな子どもがいる中川さんに打診をする会社も先進的でしたね。

中川 小さな子どもがいる私に海外赴任の提案があったときは大変驚きましたが、今では感謝しています。

 ただ、グアムでは開業8日目に大地震が発生し、ホテルは崩壊。その後清算することになりました。このときは心理的に落ち込みました。その後、マレーシアに異動し、そこでは無事にホテルを軌道に乗せ、日本に帰国しました。

 帰国後ほどなく第2子を妊娠、産休を取りました。そのときはリーガロイヤルホテル成田で働いていたのですが、近くに家を買い、リタイアした大阪の両親も呼び寄せ、一緒に住むことに。そこからしばらくは職住近接で、子どもや両親とも一緒に暮らして、いちばん生活が安定していました。

でも、そんな生活は長くは続きません。