1990年代に大ブレイクしたカラーセラピーであるオーラソーマ。その第一人者だった野田さちこさんが新たな色彩心理実践法「カラーリアム」を立ち上げたところ、再び注目が集まっています。メディカルクリニックやフリースクール、高齢者のリハビリ活動を行う介護施設での導入もあるということ。その注目の理由を探るために野田さんを訪ねたところ、カラーリアム誕生の背景には野田さん自身の稀有な体験がありました。

(上)オーラソーマ大ブレイク後、覚え始めた違和感
(中)養子の息子と思春期でぶつかりあった日々 ←今回はココ
(下)記者が「カラーリアム」を体験してみた

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野田さちこ オーラソーマ大ブレイク後、覚え始めた違和感


―― 前回、育児放棄気味の20代の女性の実子を野田さんが「ばあば」と呼ばれながら面倒をみていたという話を聞きました。ママである若い実母と野田さんの間を行き来していたS君を、その後、どういう経緯で正式に養子として迎え入れることになったのでしょうか。

野田さちこさん(以下、敬称略) 再婚した実母のもとで暮らしていたS(後の息子)ですが、1カ月で再び帰ってきて、こう言ったんです。「ぼくはもう二度と、あのおうちにはいきたくない」。母親のことは悪く言いたくなかったのでしょう。多くは語りませんでした。でも彼なりに居心地の悪さを感じたことは伝わってきました。その言葉を聞いて、「自分の子どもとして育てる」と決心したのです。

野田さちこさん
野田さちこさん

 最初は親にも友達にも散々反対されました。また養子制度のことや里親制度のことを調べれば調べるほど、シングルの女性が養子を取ることが難しいことも分かりました。でも私の決意は揺るぎませんでした。

 事業が順調だったこともあり、思った以上にスムーズに養子として迎え入れることができ幸いでした。私も息子も、しばらくは楽しい生活を満喫していました。次の困難がやってきたのは息子が小学校の4年生を過ぎたあたり。学童で高熱を出しては呼び出される。そんなことが繰り返されるように。なんとか小学校を卒業したものの、中学2年の2学期から全く学校に行かなくなってしまったんです。