「ばあば」と呼ばれる母役で、仕事では得難い幸せ
知り合いにマナー講師を頼まれた派遣先で、20歳そこそこの女性が「預ける人がいない」と子連れで出勤していたんです。休憩時間に彼女の代わりにSをあやしたり、おむつを替えたり。そのうち「休日にも預かってほしい」と頼まれるように。Sと過ごしていると仕事では得難い幸福感があり、次第にSに対する愛着が深くなっていきました。
そんな日々が続いたある日、そのSの実母である20代の女性が迎えに来なくなってしまったんです。と言っても、ずっと帰らないわけではなく、有り体にいえば男性とうまくいかなくなると戻ってくる。その繰り返し。Sは何年も、実母の家と私の家を行き来する生活でした。
Sが5歳になった頃、また私の家に来るようになったのですが、実母は保育園にも幼稚園にもSを通わせずほったらかし。Sは空腹のあまり、段ボールをかじって食べるような日もあったようです。なんとか環境を整えてあげたいと保育園を探し、通わせることに。小学校も私の家の近所に転入させました。若いママと私の間を行き来しながら、事情の分からないSは天真爛漫(らんまん)に私のことを「ばあば」と呼んでいました。私も楽観的に、ばあばとして母役を楽しんでいました。
やがて実母に新しい男性との子どもができて再婚することになり、Sは新しい家族と一緒に暮らすことになりました。「困ったことがあったらいつでも戻ってきていいんだよ」と笑って送り出したものの、内心「帰って来なかったらどうしよう」と取り乱し、毎日泣いていましたね。本当に胸にぽっかり穴が開いたように寂しく切ない1カ月でした。忙しく仕事をすることで気持ちを紛らわしていましたが、帰路の坂道で自分を鼓舞するように「頑張れ、頑張れ」と唱えながら登ったりして。いま振り返れば、ちょっと追い詰められていたと思います。
*次回に続きます。
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取材・文/砂塚美穂 野田さん写真/花井智子 イメージ写真/鈴木愛子