息子の不登校、母の介護、自身の更年期

―― 50代で、活動拠点を福岡に移しました。その背景には何があったのでしょうか。

野田 52歳の頃でしたが、私生活の面でも困難な問題をかかえていました。息子が中学に入って間もなく不登校になってしまったのです。私自身も不眠などの更年期症状が表れ、これまでにない不安な気持ちで混乱していました。さらに追い打ちをかけるように、仕事でも壁にぶつかりました。それまで30代、40代と上り調子でまい進してきて、生涯オーラソーマと共に仕事をしていくとさえ思っていた私でしたが、その時ばかりは「環境を変えたい」と切実に思いました。

 ちょうど故郷にいる年老いた母がこれ以上一人暮らしをするのが困難な状態になったこともあって、事業を縮小し福岡へ帰ることにしたのです。仕事をセーブし、息子や母、そして自分自身の困難と向き合う中、人の気持ちに寄り添うはずのカラーセラピーでちっとも癒やされていない自分に気付いてしまったんです。

 色の意味や効果を知っても、実生活の悩みや課題に生かせなければ意味がない。セラピーで癒やされたように見えた人も、私生活ではこれまでと変わらず苦しんでいるのではないか。色のチカラで、もっと具体的な解決法を提供したい。これは自らの困難と向き合ったからこそ得た、学びでした。

―― 息子さんが不登校の時は、いろいろな心配もあったでしょう。

野田 実は息子は私が48歳の時にシングルマザーとして正式に迎え入れた養子です。後に私の息子となるSと初めて出会ったのは、私が38歳の頃でした。

「色のチカラで、もっと具体的な解決法を提供したい。これは自らの困難と向き合ったからこそ得た、学びでした」(写真はイメージ)
「色のチカラで、もっと具体的な解決法を提供したい。これは自らの困難と向き合ったからこそ得た、学びでした」(写真はイメージ)