赤坂の雑居ビルの一角にある桃源郷のような「昼スナックひきだし」。今日は働く女性の大先輩、昭和女子大学総長・理事長の坂東眞理子さんがご来店。57歳で公務員を辞めた坂東さんですが、実は当時「もう年だからと思っていた」「不安でいっぱいだった」と意外な本音を語ります。最後に坂東さんが披露してくれた「50代を振り返った一句」にも注目です!
(上)坂東眞理子&紫乃ママ 女の人生後半戦に必要な覚悟は?
(下)坂東眞理子 70代の私が見れば40、50代は前途洋々 ←今回はココ
誰かの手が必要なら、大騒ぎして助けてもらう
坂東眞理子さん(以下、坂東) 50代で責任の重い仕事をオファーされたときに、親がいつ倒れるか分からないからと予防線を張って断る人がいるでしょう。
紫乃ママ そう、まだ倒れてもないのに、親の介護を気にしてしまう。
坂東 断らずにオファーを受けて、もっと稼いだほうが親にも楽をさせてあげられるのに。育児のワンオペは問題だと思われるようになったけど、介護はまだ女性が1人で背負いがち。介護だってヘルパーさんや高齢者施設の手を借りていい。20年前の常識で自分を縛らないで、いろんな関係者の力を集めて、介護をマネージすることがとっても大事だって思います。
紫乃ママ 坂東先生の世代でもそうお考えになるんですね。介護に限らず誰かの助けが必要になったら、知恵を駆使して、周りを巻き込んで、大騒ぎして、助けてもらったらいいんじゃないかと思います。
大きな責務のオファーが来るのは、その人に可能性があるから、期待されているから、お役目があるから。誰にでもくるものじゃないんだから指名されているのに受けないなんてもったいないなあって思います。坂東さんが公務員を辞めて昭和女子大学の教授を引き受けたのは何歳のときでしたか?
肩書のない自分が通用するかという不安
坂東 57歳でしたよ。でも正直私も「もう年だから」と思っていた。今までそれなりに仕事をしてきたつもりだけど、それは公務員としての肩書があったからで、立場のない私は1人では何もできないんじゃないかと不安があった。
それは男性も同じだと思う。ポジションにしがみつくのは、そこから離れた自分が通用するか不安だから。でも、本当にやるという覚悟があれば、いろんな可能性が開ける。私も、自信はないけど飛び込んでみたわけです。大学に来てみたら公務員時代と全く違った。部下はゼロで、何でも自分でやらなければいけなかった。自分では PowerPointで資料も作れないからパソコン教室に行きました(笑)。
紫乃ママ 坂東さんがパソコン教室! それは驚きです。
坂東 最初は、大学という新しい世界で通用するか不安でいっぱいでしたよ。