「予約の取れない美容師」として女性たちから絶大な支持を集めるTWIGGY.オーナーの松浦美穂さん。「未来に残せることしかやらない」と決め、本当に大切な美のあり方について伝えられるサロンをつくると決意して30年余り。美容業界のトップを走り続ける松浦さんが今、伝えたいこととは? 連載第3回をお届けします。

自分にとって「難しい道」が美容師だった

―― 独自のビジョンでプロフェッショナリズムを磨いてきた松浦さんが、美容師を目指すようになったきっかけは何だったのでしょうか。

松浦美穂さん(以下、敬称略) 母の影響です。私の実家は福岡で美容室を営んでいて、美容師として働く母の背中を見て育ちました。3人きょうだいなのですが、物心ついたときから「美容師に向いているのはあなただから、私の仕事を継ぐとしたらあなたよ」と言われていて。でも、私自身はあまりピンと来ていなくて、中高生時代に興味を持ったのは、実は美容よりもインテリアのほうだったんです。

 例えば、布団にプリントされた花柄が気に入らなくて、自分で好きな布を買ってきてカバーを縫ったり。「カーテンももっとオシャレにしたいな。自分で作れないかな?」と、大きな布を買ってきて窓のサイズに切って、端を縫って安全ピンで止めてみたり。自分の好きな色、好きな柄で空間をデザインするのが大好きだったんです。「自分が居心地のいい場所をつくりたい」という気持ちが強かった。

―― 今のサロン空間に対するこだわりともつながるのではないでしょうか?

松浦 おっしゃる通りですね。でも、インテリアデザイナー泣かせですよ。信頼できるインテリアデザイナーを選んでいるはずなのに、「あなたの好きなようにして」と言いながら、必ず注文やイメージを言ってしまう(笑)。10代の頃と何も変わっていないですね。ということで、私は一番好きなことを仕事にしたわけではなかったんです。憧れていたのはインテリアの世界だった。母の影響で身近にあった美容の世界に関しても、どちらかというとヘアよりメイクのほうに憧れていた。でも、一番私にとっての“難しさ”を感じられたのがヘアだったんです。

「私が人生をかけて見つけてきた価値観や哲学、時代の空気や風を美容師の技術、サロンの空間、そしてコミュニケーションを通して伝えていく。TWIGGY.は、そんなサロンでありたいと目指しています」(TWIGGY.オーナーの松浦美穂さん)
「私が人生をかけて見つけてきた価値観や哲学、時代の空気や風を美容師の技術、サロンの空間、そしてコミュニケーションを通して伝えていく。TWIGGY.は、そんなサロンでありたいと目指しています」(TWIGGY.オーナーの松浦美穂さん)

―― 自分にとって「より難しいほう」を選んだということですか。

松浦 そう。インテリアもメイクも、自分でうまく作れるというより、既に完成された作品を美しいと感じるためのものでした。メイクも、セルジュ・ルタンス(フランスのメイクアップアーティストで、1960年代にはクリスチャン・ディオールのアーティスティック・ディレクターを務めた)のような洗練された世界観が大好きで、インテリアも「こんなすてきなシマの生地があるんだ」とため息をつく対象だったけれど、自分の手で「作りたい」という感じではなく、ずっと見ていたい! 感じていたい!というリスペクトしかなかったんです。

 一方で、一見簡単そうで深掘りするほどに難しくて奥が深いと気づいたのがヘア。人形の髪で練習していたときは余裕でいられたのに、いざ人間の髪を扱おうとすると「何これ、全員、毛質も頭の形も違う!」と悲鳴を上げたくなるほど厄介なんです。すごく落ち込みましたね。母から「向いている」と言われて、自分でも簡単にできるんじゃないかと思っていた世界が、全然そうじゃなかったと気づいたときの絶望ったら。

 次にショックを受けたのは、初めてショーのバックステージで外国人モデルを担当したとき。私は背が低いから、モデルの髪に手を届かせるには箱馬(編集部注:撮影スタジオに備えられた土台)に乗らないといけなくて。「メイク担当だったら、モデルの顔を下から触れるのに……」なんて思いながら、自分にとって難しいほうを選んだんだって落ち込みました。でも、落ち込んだ後は必ず「よっしゃ! やるしかない」なんです。

―― 「よっしゃ!」と切り替えられる理由は?