もがいて、模索していた時代に訪れた転機

―― 意外です。サロンの人気は出ていたはずなのに、なぜ?

松浦 確かに、雑誌に取り上げていただくことも多く、忙しくはしていました。「ここの製品を使ってくださったら、6ページのヘア特集を組めます」というオファーもひっきりなしにいただいていました。ファッション誌の力を借りて、私の名前は世間に出るようになり、ありがたかった。でも、髪の土壌となる頭皮や、その頭皮をつくるライフスタイルの大切さまでも伝えたいという渇望は常にあって、全然満足できていなかったんですよね。

 もがきながらも模索し続けていた私に、転機が訪れました。米国発のオーガニックヘアケアブランド「AVEDA」の日本上陸に合わせて、アーティスティックディレクターに就任したのです。2003年のことでした。

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(2)美容師として、正しさより楽しさを伝えたい

取材・文/宮本恵理子 写真/洞澤佐智子