年が明け、帰国した16年。知り合いの事業家たちに「サステナブルの時代が来ます。一緒に事業をやりませんか」と打診してみたものの、ほとんどの人に「慈善事業家にでもなるのか」「環境保全活動家にでもなるのか」と相手にされなかった。当時、長坂自身も絵画で環境保全に役立てるとは思わなかったし、ましてや地球環境に役立つビジネスは何かと悩む毎日が続いたという。
そんな日々を送る中で知ったのが、ガーナのアグボグブロシーだった。資本主義経済、大量生産・大量消費社会がつくり出した新たな”奴隷制度”がアグボグブロシーに存在している、彼らは先進国が貪り尽くしたもののツケを払わされている……そう感じた長坂は、「彼らの環境を変えたい」と決意した。初めて訪れたガーナで、長坂の人生の時計の針が力強く動き始めたのだ。
「文化、経済、環境」の3要素を循環させる
その後、何度かアグボグブロシーを訪ね、電子ゴミを作品化することで「サステナブルを構成する歯車がカチッと組み合わさった気がした」と長坂は振り返る。「文化、経済、環境」。この3つが結びつき、急回転し始めたのだ。
「とはいえ、今すぐ資本主義社会、大量消費社会から抜け出せるものではない。だからこそ、文化、経済、環境のバランスを取りながら回していくことが、今を生きる僕たちには必要ではないかと思い始めた」
18年に日本で初めてのガーナ展を行い、ガーナの子どもをモチーフに描いた作品に1500万円の値が付いた直後、長坂は個展開催のオファーを受け、米国に旅立った。
「僕はそこで、“サステナブル・キャピタリズム”という言葉を初めて使い、ガーナでの体験を語った。すると米国の知人たちは、この言葉に激しく反応し、『超クール!』『かっこいい!』などと絶賛してくれた。それ以降、自分の活動を説明するときはサステナブル・キャピタリズムという言葉に収れんさせている」