ひたすら耐えることでしか乗り越えられませんでした

 後半は、日経BP執行役員・日経xwoman発行人である高柳正盛も登壇し、橋本さんに質問する形で進行。日経doors(20代~30代)、日経DUAL(共働き夫婦)、日経ARIA(40代~50代)、それぞれのメディアの対象の世代におけるご自身を振り返っていただきました。

後半は、日経BP執行役員・日経xwoman発行人、高柳正盛の質問に答える形で進行
後半は、日経BP執行役員・日経xwoman発行人、高柳正盛の質問に答える形で進行

 「30歳前半が一番苦しかったです。参議院議員となり、男性社会に飛び込んで、31歳の時、現職でアトランタオリンピックを目指しました。両方やるのは厳しかったのですが、両方の視点から見られましたし、プレッシャーを跳ねのけることができましたね。今はそういう時代でもなくなったと思いますが……あの時、私自身はひたすら耐えることでしか乗り越えられませんでした」(橋本さん)

 男性社会で心無い言葉を投げかけられても、黙って耐えて行動で示して、周りの議員の考え方を変えていった橋本さん。女性だけでは内部の話になっていくので、男性にも入ってもらって考えていく、という対策をとるうちに、ようやく風通しがよくなったのが5、6年くらい前とのこと。これは国会のみならず、社会全体に言える流れかもしれません。

 最後に橋本さんは「実際にはものすごく悩みがあって」と、ご自身のお子さんに不登校の経験があることを語ってくれました。

 「子どもたちの心にお父さんお母さんが寄り添いながら仕事ができる社会を作るべきではあるものの、現在の政策ではいろいろな問題があります。だから、国が寄り添いながら一緒にがんばっていきます」(橋本さん)

 身をもって発せられる言葉の数々からは、これから私たちが何に向き合うべきなのかが、はっきりと浮かび上がってきたはずです。

「子どもたちの心にお父さんお母さんが寄り添いながら仕事ができる社会を作るべき」
「子どもたちの心にお父さんお母さんが寄り添いながら仕事ができる社会を作るべき」
橋本聖子(はしもとせいこ)
参議院議員
女性活躍を国際的に推進する議員連盟会長
1964年北海道勇払郡早来町生まれ。84年冬季オリンピック サラエボ大会(スピードスケート)、88年冬季オリンピック カルガリー大会(スピードスケート)/夏季オリンピック ソウル大会(自転車競技)、92年冬季オリンピック アルベールビル大会(スピードスケート)、94年冬季オリンピック リレハンメル大会(スピードスケート)、96年夏季オリンピック アトランタ大会出場(自転車競技)に出場。アルベール大会ではスピードスケート1500m銅メダル獲得。95年参議院議員自由民主党比例区代表に当選し、現在は4期目。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、日本オリンピック委員会副会長、日本スケート連盟会長、日本自転車競技連盟会長。

取材・文/高橋美穂 写真/鈴木愛子