そして橋本さんは「絶対に国会議員になりたい」という信念のもと、30歳で立候補します。しかし、母としてPTAに参加して感じたのは、現場と永田町のギャップ。そして、不妊治療で3人の子どもに恵まれるも、参議院議員現職としての出産は初めてで「私が生んだ時は議事堂本館には女性のトイレすらなかった」とのこと。その後、「復帰した時に政策に結びつけなければ、初めて出産する国会議員の役割を果たしたことにならない」と、法整備を進めたのです。

 「日本の精神文化力を引き出すのは女性が活躍し輝けることです。これからもご指導を賜りますように。女性の活躍を祈念いたします」と、橋本さんは話を結びました。

「復帰した時に政策に結びつけなければ、初めて出産する国会議員の役割を果たしたことにならない」
「復帰した時に政策に結びつけなければ、初めて出産する国会議員の役割を果たしたことにならない」