金融業界の女性取締役誕生ラッシュが話題です。「なかでも意義を感じたのが、大和証券グループの『本体』の副社長に生え抜きの田代桂子さんが就任したこと」と言うのは、少子化ジャーナリストで相模女子大客員教授の白河桃子さん。前編では均等法第一世代として田代さんがどのように道を切り開いてきたのかを聞き、後編ではグローバル視点で見た日本の女性活躍推進の課題を二人が語ります。

(上)「世の中はフェアじゃない」前提 ←今回はここ
(下) 金融で女性役員増加の訳

白河桃子さん(以下、敬称略) これまで大手上場企業の女性役員は登場しても、執行役員から先にはなかなかいけないという壁を見聞きしていましたが、田代桂子さんは、まさにその壁を乗り越えました。今回の自身の昇進も含め、「女性取締役就任が金融業界からラッシュ化」しつつある現状をどう見られていますか?

田代桂子さん(以下、敬称略) 正直、「当然でしょう」と思いますね。能力と経験を豊富に持つ女性が意思決定する立場に立つことは、会社が本気で成長しようとするならば、当然の流れだろうと感じます。

白河 うれしいですね。「当然の流れ」と言ってもらえて。女性活躍推進全般についてのお考えは後編でじっくりお伺いするとして、まずは田代さんのストーリーについて聞かせてください。海外赴任期間が長く、日本のメディアにじっくり話す機会もそれほど多くなかったと聞いています。田代さんは1986年入社の「均等法第一世代」ですね。

田代 はい。就職活動をしていた頃はまだ法律が整っていませんでした。

白河 その当時から、大企業の取締役会に入るような将来を描いていましたか?

田代 いえいえ。「ずっと働きたいな」と思っていましたが、あまり深くは考えていませんでした。金融業界を選んだのも、総合職として女性が活躍しやすい環境を選んだ結果です。早稲田大学時代には、仲間たちと一緒に『私たちの就職手帖』という情報誌の制作に打ち込んでいましたので、もともと女性が働きやすい環境に対するアンテナは立っていたほうだと思います。「女性は25歳には結婚して寿退社するのが当たり前」だった時代に、子どもを産んでも働き続けられる前提で、会社選びをしていました。実際には、母親にはならなかったわけですが。大和証券は私が入社する前年から既に女性の総合職採用を始めていたことが決め手の一つでした。

右:田代桂子さん/1963年生まれ。1986年早稲田大学卒業、同年大和証券に入社。1991年米スタンフォード大学MBA。2009年大和証券執行役員、2013年大和証券グループ本社常務執行役員、米国子会社会長。2014年に生え抜き女性として同社初の取締役。2019年4月から現職。左:白河桃子さん/少子化ジャーナリスト。相模女子大・昭和女子大客員教授。内閣官房「働き方改革実現会議」有識者議員。昨年は働き方改革をテーマにした講演を100回行なった。
右:田代桂子さん/1963年生まれ。1986年早稲田大学卒業、同年大和証券に入社。1991年米スタンフォード大学MBA。2009年大和証券執行役員、2013年大和証券グループ本社常務執行役員、米国子会社会長。2014年に生え抜き女性として同社初の取締役。2019年4月から現職。左:白河桃子さん/少子化ジャーナリスト。相模女子大・昭和女子大客員教授。内閣官房「働き方改革実現会議」有識者議員。昨年は働き方改革をテーマにした講演を100回行なった。

白河 『私たちの就職手帖』といえば、1980年に創刊された「女子学生による、女子学生のための就職情報誌」。大卒女性の採用を行わない企業がメジャーだった時代に、独自取材によって各企業の採用の実態を実名で報じるメディアとして、画期的でした。日本の働く女性を語る一つの歴史をつくってきた田代さんが、今のポジションに就いたというのも意義深いですね。証券会社は今も昔も男社会というイメージがありますが、入社してからの働き方はいかがでしたか?