今年6月のワールドカップで、再び世界の頂に挑戦するサッカーなでしこジャパン(日本女子代表)。監督の高倉麻子さん(51)は小学生の時にサッカーを始め、大学卒業後は創設直後の女子リーグで選手として活躍してきました。36歳で引退した後、ここ10年はコーチや監督を務め、数多くの女子サッカー選手の育成に関わっています。ただ「指導者は向いていないと思っていたし、積極的になりたい、と希望したわけではなかった」という高倉さん。そんな高倉さんだからこそ追求してきた指導者としてのスタイル、若い女子選手との向き合い方などについて、話を聞きました。

10歳からサッカーに夢中になるも、将来のことは考えていなかった

―― まず監督自身のことをお尋ねしたいのですが、何歳くらいからプロ入りを目指してプレーしていたのでしょうか。

高倉さん(以下、敬称略) 初めてサッカーボールを触ったのは小学校4年生、10歳の時でした。男の子とばかり遊んでいた子どもだったので、友達が入っていた男子のサッカーチームに私も入りました。もともとスポーツは好きだし得意で、いつも山を駆け回ったり野球をしたりしている子どもでした。

 サッカーチームに入ってからもすぐなじんで、サッカーにのめり込んでいきました。中学・高校でも福島から東京のクラブチームまで通い練習しましたが、当時女子のサッカーリーグはなかったので、サッカーで生きていこうとはこれっぽっちも思っていませんでした。日々ただサッカーがうまくなりたいという気持ちが大きかった。

今年6月のワールドカップで、再び世界の頂に挑戦する(東京都文京区の日本サッカーミュージアム)

―― いつからサッカーで生きていこうという決意を?

高倉 大学1~2年生の頃は、そろそろサッカーをやめて就職について考えなくては、と思っていました。ところが3年生の時に女子リーグができて、アジア大会など世界的な大会も開かれるようになり、サッカーで生きていく土台ができました。1991年に大学を卒業してからは、サッカーで食べていくと決めて、アメリカや日本でプロの選手としてプレーを続けました。

―― 日本女子代表として79試合に出場し、30得点を決めるなど活躍しました。そして引退後、U-16日本女子代表のコーチからキャリアをスタートし、アンダーカテゴリーの代表監督などを経て、2016年からなでしこジャパンの監督を務めています。ちょうどARIA世代である40代は監督としてのキャリアを積んできた時期だと思いますが、どんな10年でしたか。

高倉 30代後半で現役引退をし、その後女子サッカーの裾野を広げるために、中学生のトレセン(トレーニングセンター制度)を手伝ったりしました。引退後は時間があったので、何か新しいことを始めたいという思いとともに、好きなサッカーに対しての恩返しをしたいという気持ちもあって。「時間があるときに手伝って」と関係者にそそのかされて(笑)、そのうち気付けばU-13の監督などいろいろなことを頼まれるようになっていました。

 そもそも指導者になりたい、という気持ちはなかったんです。自分は指導者には向いていないと思っていました。ただ、育成は選手の一生を左右する仕事でもあります。いいアドバイスやいい環境を与えてあげれば、選手がやる気になって伸びることもあるし、逆もある。だから勉強をして育成のための資格を取ったりもしました。

 やるとなれば全力でやりますし、試合に勝ちたい、選手を伸ばしてあげたいという思いは強く持っています。でもグラウンドを一歩出ると「自分には指導者に向いているのかな? いや、向いていないんじゃないか……」という思いはずっと持っていましたね。