人生のピンチに陥ったときに、局面を打開するきっかけになった「逆転の一冊」を聞くリレー連載。第8回はプロレスラー棚橋弘至さん(新日本プロレス)の虎の子の一冊です。近年のプロレスブームの立役者であり「100年に一人の逸材」と言われる棚橋さん。プロレス暗黒時代をどう乗り越え、ブームをけん引するまでになったのでしょうか。そこにあった一冊の本とは?
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(下)逆転の一冊 棚橋弘至「ヒット商品を作り続ける」ために
「新日本でまだ何もなし遂げていない」
―― 最近のプロレス人気には驚かされます。試合のチケットがなかなか取れず、会場には家族連れや女性も多い。一昔前のプロレスとはイメージががらりと変わりました。人気ぶりは数字にも表れ、新日本プロレスの売り上げは2012年に10億円程度だったものが19年には54億円と7年間で5倍に。「プ女子(プロレス好き女子)」という言葉も生まれ、その人気を牽引したのが棚橋選手と言われます。
棚橋弘至(以下、敬称略) 女性を引きこんだのは間違いなく僕ですね(笑)。というのは軽い冗談で、新日本プロレス(以後、新日本)には強くてイケメン、そして運動能力が高く発信力にも優れた選手がたくさんいますから。ただ、彼らの多くは新日本の経営者が変わり、人気が上向きになった頃にデビューした選手で、会社のどん底時代を経験しながら今もなお、スター(笑)でいるのは僕くらい。
2000年代なんて、暗黒の時代でしたよ。お客さんが減っていくのが試合をするたびに分かるんです。同じ会場なのに、かつてぎっしり埋められていた椅子が30列ぐらいに減り、翌年は20列と減り、一番ひどい時は200~300人しか観客がいない中でタイトルマッチをしたこともありました。
棚橋 理由ははっきりしていました。当時、総合格闘技がブームになるなかで、プロレスの最大の魅力である選手のキャラクターや試合に至るまでのレスラー同士の関係性などをなおざりにしたため、ファンが離れていった。さらに悪いことに、そんな会社の方向性に嫌気がさして、多くの選手がリングから去っていきました。
―― 棚橋さんは、なぜ沈みそうな新日本という船から脱出しなかったのですか。
棚橋 プロレスが好き、というのはもちろんですが「新日本でまだ何も成し得ていない」と思ったからです。