プロレスの未来のために、逃げるわけにはいかない

棚橋 まず、自分の戦い方をがらりと変えました。プロレスはお客さんに見ていただいてなんぼのものだから、面白くなければ話にならない。プロレスラーの強いイメージとは真逆の、チャラさを前面に出すことから始め、次の試合にも足を運びたくなるように常に意識していました。

 会場から「棚橋コール」が起きなければ、ゴングが鳴っても試合を始めないという荒業もやりましたね。もちろん、当初はブーイングの嵐。孤独な戦いでしたけど、プロレスの未来を考えたら逃げるわけにはいかなかった。

 そんな僕の逆転の一冊になったのは『シンプルに考える』(森川亮著 ダイヤモンド社)。LINEの社長兼最高経営責任者(CEO)だった森川さんが退任直後に出した本です。LINEが最も勢いに乗っているときに次の道に進むなんて、普通の人では考えられないことですよね。

 遠征先のホテルに置いてあったこの本を何気なく手に取ったのは、2015年のこと。その頃にはプロレスの暗黒時代は抜けていましたが、「成功を捨て続ける」という一言が胸に突き刺さりました。その本を読んで2000年代の暗黒時代に、僕がやった手法は間違っていなかったという確信になった。そして、今につながる新たな方向性のヒントにもなりました。

森川さんがLINEのCEOを退任する際、これまでの人生を振り返り、いい仕事をする、ビジネスで成功するために何が大切かをつづった『シンプルに考える』。「熱」こそが成功の条件、ビジネスは「戦いではない」、「不安」を楽しむ…などシンプルな原則が挙げられている
森川さんがLINEのCEOを退任する際、これまでの人生を振り返り、いい仕事をする、ビジネスで成功するために何が大切かをつづった『シンプルに考える』。「熱」こそが成功の条件、ビジネスは「戦いではない」、「不安」を楽しむ…などシンプルな原則が挙げられている

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逆転の一冊 棚橋弘至「ヒット商品を作り続ける」ために

取材・文/吉井妙子 写真/洞澤佐智子

棚橋弘至(たなはし ひろし)
プロレスラー
棚橋弘至(たなはし ひろし) 1976年、岐阜県生まれ。立命館大学法学部卒業。大学時代はアマチュアレスリング、ウェイトトレーニングに励み、1999年に新日本プロレスでデビュー。日本人離れした肉体で、団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座に何度も君臨。2000年代に人気、売り上げとも低迷した新日本プロレスを支え「エース」「100年に一人の逸材」と呼ばれる。第56代IWGPヘビー級王者時代には当時の最多防衛記録である「V11」を達成した。