闘えど闘えど、一向に光明が差さない暗黒期

棚橋 大学3年の終わりにやっと入門テストに合格。夢がかなったので大学は辞めようと思っていたら、新日本は「卒業してから来い」と。大学の単位はだいぶ残っていたので、卒業までの1年間は、身体以上に脳に汗をかきました。

―― デビューしたのは1999年。でも、その頃からプロレス人気が急降下します。

棚橋 スターになろうと思ってプロレスラーになったのにゴールデン帯でのテレビ放映はなくなるし、会場もガラガラの状態。今考えれば、選手もスタッフもお客さんのニーズに応えていなかった。「新日本のプロレスはこういうもの」という従来の思い込みから抜け出せなかったんです。僕も、こんなに頑張っているんだからそのうち何とかなると、思い込もうとしていた。でも、闘えど闘えど、一向に光明が差さない……。

 僕が変えるしかない、立ち上がろうと決意したのは、IWGPヘビー級王座決定戦でチャンピオンになった2006年。それまでは、先輩の誰かが人気に火をつけてくれるんじゃないかとひとごとのように考えていたけど、ある試合を終えて控室に戻り、何気なく他の選手の姿を眺めているうちに、急に天命が下りてきた(笑)。

 「俺か! 新日本プロレスを変えるのは俺しかいないんじゃないか!」って。

棚橋さんが「エースの必要条件を備えている」と認めるSANADA選手との一戦で、ドラゴンスープレックスを決める(2019年7月27日G1 CLIMAX29)。写真提供/新日本プロレス
棚橋さんが「エースの必要条件を備えている」と認めるSANADA選手との一戦で、ドラゴンスープレックスを決める(2019年7月27日G1 CLIMAX29)。写真提供/新日本プロレス