人生における「逆転の一冊」を聞くリレー連載。今回は歌手・森進一さんに聞きました。「世の中はなんて理不尽なのだろう」と思いながら育ち、ある種のコンプレックスを抱いていたという森さん。40代半ばにある哲学者の本と出合い、大きな衝撃を受けたそうです。読書家、森さんの人生の傍らにある本とは?

(上)母の自死…哲学者に共感「人生は苦しいもの」 ←今回はココ
(下)フロイトに学んだ父の本分、息子との向き合い方

この世の理不尽を前に、心が張り裂けそうだった幼少期

編集部(以下、略) ショーペンハウアー、フロイト、安岡正篤……。森さんが影響を受け、今に至るまで繰り返し読んでこられたのは、哲学者や思想家の本ばかりなのですね。

森進一さん(以下、森) 「逆転の一冊」という企画なのに、一冊に絞るのが難しくて……。いずれにしても哲学者や思想家の書く本につづられているのはこの世の真理。人が生きていく上での本質的なことを知りたいという好奇心を満たしてくれる点に強く引かれます。それはきっと私の人生が波瀾(はらん)万丈だからでしょう。特に18歳で歌手デビューするまでは楽しいことなんか何一つなかった。「世の中はなんて理不尽なのだろう」と思うことの連続でした。

―― 詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか。

 両親が離婚したことで我が家は母子家庭になった。これが苦難の幕開けでした。10歳だった私と3歳だった妹、まだ1歳だった弟を女手一つで育てていくことになった母は病弱で、思うように働くことができず、僕ら一家は山口県下関市の母子寮に身を寄せ、生活保護を受けていたんです。貧乏であることは恥ずかしいことではないはずなのに屈辱的な思いを強いられる。学校の先生でさえ差別的で、私はやりきれなさで心が張り裂けそうでした。

 中学3年のときに母の故郷である鹿児島へ移住したのですが、暮らし向きが改善されることはなかった。私は文房具など学校で必要なものを買うために、早朝から新聞配達、その後に牛乳配達をして、学校が終わると新聞の夕刊配達をするようになります。配達先には幾人かの同級生の家も含まれていて、室内からピアノを奏でる音が聞こえてきたりすると羨ましくてねぇ。でも羨ましがっても仕方がないと分かっていました。達観していたのではなく、自分はこういう運命なんだと諦めていたんですよ。

「この世の真理や本質的なことが書かれている本をよく手に取ります」
「この世の真理や本質的なことが書かれている本をよく手に取ります」

―― 中学卒業後は集団就職で大阪へ出て、おすし屋さんで働き始めたのだとか。

 そうです。まだ15歳でしたから家族と離れて暮らすのは不安だったけれど、長男が一家を支えるというのが当たり前の時代です。大阪行きの列車の中で涙を拭いて、折れそうな心を何とか立て直し、頑張ろうと誓ってもいた。ところが職場で待っていたのは先輩たちからの激しいイジメでした。

 世の中、正義なんてないのだと落胆し、こんなところにいられないと1カ月ほどで退職して鹿児島へ戻り、その後はさまざまな職を転々としました。キャバレーでバンドボーイをしたり、鉄工所や運送会社、飲食店で働いたり。住み込みで働けるところなら何でもよかったんです。生活費を家族への送金にあてたかったから。基本的に心を閉ざしていたので友達はいなかったし、どんな風に生きていけばいいのかを指南してくれるような大人にも出会えずにいました。

―― それで本に救いを求めたのですか?