本の一節に「それでいいんだよ」と肯定された気がした

 いやいや。私には学がないから、当時は本を読もうなんて発想はなかった。第一、苦しみの渦中にいるときには読書しようなんていう心のゆとりはありませんよ。

 読書に目覚めたきっかけとしてパッと脳裏に浮かぶのは、40代半ばの頃のこと。当時はよく、息子たちを連れて家の近くのデパートへ行っていたんです。ある日、本の売り場でフラフラっと哲学書のコーナーへ行き、何気なく本棚から抜き取った一冊の表紙を見たら安岡正篤著とありました。

 無作為に開いたページの冒頭に「ずるいことをして地位や財を築くことはできたとしても、人間としては少しも立派ではない」といった一文があって、強い衝撃を受けたのを覚えています。ああ、正義感の大切さを明言している人がいたのかと。私は不器用な自分の生きざまにある種のコンプレックスを抱いていたのですが、「それでいいんだよ」と肯定されたようでうれしくてね。そこから安岡正篤さんの本にハマり、今に至るまで繰り返し読んでいます。

―― つまり森さんにとって読書は、苦しみから抜けるための方法論を得るためのものではなく、試練を通して培った自分なりの価値観がズレていないかを確認するための手段だと。

 答え合わせをしているというより、私にとって本は自分自身を客観的に見つめ直す機会を与えてくれるもの。これは経験的に学んだことですが、苦しいことや悔しいことがあったときに救われたいと思ったら、自分を俯瞰(ふかん)して眺めてみることなんですよ。自分の悩みは拡大鏡で見るようにして凝視してしまいがちだけれど、客観的に見たら「よくある話」だったりします。苦しいのは自分だけではないと理解することで人間の忍耐力はグンと強くなる。少なくとも私はそうでした。

―― 森さんが18歳の頃の話に遡りますが、1966年に発表したデビュー曲『女のためいき』が大ヒット。その後もミリオンセラーが続き、レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞したり、NHK紅白歌合戦において最年少でトリを務めたりするなど、一気に人生が好転したように見受けられます。

「私にとって本は、自分自身を客観的に見つめ直す機会を与えてくれるものです」
「私にとって本は、自分自身を客観的に見つめ直す機会を与えてくれるものです」