全身に蕁麻疹。それでも舞台に立った

―― 1995年に始まった浪曲と編集者の二足のわらじ生活は、2014年に筑摩書房を退職されるまで約20年続きました。どちらも全力投球で辛くはなかったですか?

奈々福 そりゃもう体はしんどかったですよ。編集者としては、心から尊敬している多くの作家の方々を担当して、好きな仕事をさせてもらいました。生産高的には、人の3倍くらい仕事をする年もあれば、追いつかない年もあったり、コンスタントに成績が挙げられる編集者じゃなかったと思います。自分ではそれをあまり気にしていませんでしたが、会社が寛容だったんでしょうね。今でも私が新聞に出たりすると、記事が筑摩書房の総務の壁に張り出されたりするそうです。本当にありがたい。

 ストレスで全身に蕁麻疹が出ている状態で舞台に立ったこともありますが、芸をやめようという気持ちは一度もありませんでした。あ……でも、うちの師匠が事故で突然死んじゃった時にがっくりして、長い時間じゃなかったけれど、浪曲を聞くのが嫌になって、これじゃあ続けられないかなと思ったことはありましたね。

 それでも、舞台があって、浪曲をやらなくちゃならない。ところが、演じながら物語に心を浸すことで、癒やされたんです。自分の実人生から離れて、浪曲の物語に心を遊ばせる効果をそのときに初めて理解しました。それでやめずにすんだんです。

―― いつから「浪曲一本」に絞ることを考え出したのですか?

最初は三味線教室に通い始めたが、「三味線が下手だったから」浪曲師に転身。浪曲師と会社員、二足のわらじ生活は20年に及んだ。「ストレスで全身に蕁麻疹が出ている状態で舞台に立ったこともありますが、芸をやめようという気持ちは一度もありませんでした」
最初は三味線教室に通い始めたが、「三味線が下手だったから」浪曲師に転身。浪曲師と会社員、二足のわらじ生活は20年に及んだ。「ストレスで全身に蕁麻疹が出ている状態で舞台に立ったこともありますが、芸をやめようという気持ちは一度もありませんでした」