人生のピンチに陥ったときに、局面を打開するきっかけになった「逆転の一冊」を聞くリレー連載。第7回は浪曲師・玉川奈々福さんの虎の子の一冊です。浪曲は、落語、講談とならぶ日本を代表する演芸・話芸のひとつ。「普通の会社員」時代に何気なく通い始めた三味線教室を経て、浪曲師として独り立ちするまでにはどんな苦悩があったのでしょうか。奈々福さんを芸の道に駆り立てた一冊とは?

(上)会社員と浪曲師の二役で20年 ←今回はココ
(下)浪曲を今に生きる芸にする覚悟

―― 浪曲は、三味線を弾く曲師(きょくし)と、独特の節と語りを披露する浪曲師の二人が舞台に上がり、三味線の音色にのせて物語を伝えていきます。出版社に勤める編集者だった奈々福さんが、プロの浪曲師になったきっかけは何だったのでしょうか?

異分野の芸能とコラボするなど、浪曲を今に生きる大衆芸能として広めようと奮闘中。2018年は文化庁文化交流大使として中欧、中央アジアの7カ国で公演。2019年には「第11回伊丹十三賞」を受賞した
異分野の芸能とコラボするなど、浪曲を今に生きる大衆芸能として広めようと奮闘中。2018年は文化庁文化交流大使として中欧、中央アジアの7カ国で公演。2019年には「第11回伊丹十三賞」を受賞した

玉川奈々福さん(以下、敬称略) ずっとモラトリアム期間が続いていて、自分が本当に何をしたいのか分からなかったんですよ。大学卒業時に放送局や新聞社、出版社をひと通り受けたのだけれど、全部ダメで、入ったのは短歌の雑誌を出している小さな出版社でした。

 結局、編集長とぶつかって1年半くらいで辞めてしまい、アルバイトを経て筑摩書房に入社。文庫・新書から単行本、文学全集、雑誌とひと通り作りましたし、営業も経験していますよ。

「自分には何もない」から通い始めた三味線教室

奈々福 筑摩書房に入って最初に携わったのが日本文学全集だったんです。そのときの編集委員は、哲学者・鶴見俊輔、作家・井上ひさし、数学者・森毅、画家・安野光雅、ドイツ文学者・池内紀という、「勘弁してください」と言いたくなるほどの(笑)すごい方たち。「あなたはどう思う?」と当たり前のように意見を求められるんですが、まったく言葉が出てこない。情けなかったですね。

 20代後半で、自分には何もないことを痛感して、勉強しなくちゃいけないと思いました。でも、ただ本を読むのではなく、身体的な教養を養わなければいけないと考えたんです。理屈じゃなく、身体性を強めたいという思いは今も変わりなくありますね。

 和もののお稽古事がしたいなと、茶道や日本舞踊などを考えていたんですが、たまたま新聞で日本浪曲協会が三味線教室を開くという記事を読んで飛びついたんです。日本浪曲協会は会社から近かったし、三味線を無償で貸してくれるというのも選ぶ理由になりました。浪曲なんて聞いたことがなかったし、三味線に種類があることも知らないのに、一番特殊な浪曲三味線に通い始めちゃった(笑)。

―― 習い事のつもりで浪曲の三味線を始めたはずが、なぜ、プロに?