人生における「逆転の一冊」を聞くリレー連載。今回は女優の秋吉久美子さんの(下)です。1970年代に唯一無二の個性で青春映画のトップランナーに躍り出た秋吉さん。常に本音で発言することから、自由奔放なイメージも浸透しましたが、実は学びを極める人。40歳で米国のアートカレッジに留学し、53歳で早稲田大学大学院に進学しました。社会活動にも積極的な秋吉さんに影響を与えた一冊とは?

(上)震災後に力をくれた芦田淳の自伝的エッセー
(下)「53歳で大学院入学は両親への供養だった」 ←今回はココ

芦田淳の「自分だけの道を進んだ人生」を読むと…

―― 前回、『人通りの少ない道』(芦田淳著/日本経済新聞社)を読んで気持ちがいい本、ファッションデザイナーの芦田淳さんの服は力をくれる、という話をしてくれました。

秋吉久美子さん(以下、敬称略) 芦田先生の『人通りの少ない道』に書かれているのは、誰かのまねをしたのではなく、自分だけの道を進んだということ。直感したことを行動に移すまでの切れ味の良さには本当に驚かされます。とても繊細な感性の持ち主でありながら、時に人生に大なたを振るって、大きな一歩を踏み出しています。その姿に触れると、自分が小さなことで悩んでいるのがばからしく思えて、スカッとした気分にさせてくれる。「瓢箪(ひょうたん)から駒」が、次々と出てくるんです。

「『人通りの少ない道』を友人にプレゼントすることもあります。友人たちも、『読んで気持ちいい、やる気になった』と言っていました」
「『人通りの少ない道』を友人にプレゼントすることもあります。友人たちも、『読んで気持ちいい、やる気になった』と言っていました」

―― 秋吉さんは、学ぶ理由を「いつか死ぬから、それまでにもっと気がつきたい、もっと世界をひもときたい」と話していました。1994年には40歳で米国のアートカレッジに留学していますが、どういう経緯だったんですか?

秋吉 映画『トップガン』(1986年)を見たときから、あんなにすごい映像を撮る方法や編集方法を知りたくて、映像技術を学びたいと思っていたんです。それから8年後の40歳のとき、所属していた芸能事務所を辞めて時間ができたので、1年弱留学しました。心機一転、髪の毛をベリーショートにして。本当は1年以上いるつもりでしたが、映画『深い河』(1995年)の撮影が入ってインドに行くことになり断念。でも、そのとき学びたかったことはしっかり学べました。

 余談ですが、私、米国で一緒に学んだ学生たちの間で結構人気があったんですよ。自動販売機でジュースを買うとき小銭が足りなかったりすると、必ず「僕がおごってあげるよ」という人が現れてコインをヒョイと入れてくれる。今思えば、その場限りで終わりにしないで、仲良くなればよかったな、と。もったいないことをしました。もちろん友達として(笑)。

―― 2007年には、53歳で早稲田大学大学院公共経営研究科に入学しました。この経緯についても教えてください。

世界的に活躍したファッションデザイナー芦田淳(1930〜2018)の自伝的エッセー
世界的に活躍したファッションデザイナー芦田淳(1930〜2018)の自伝的エッセー