人生における「逆転の一冊」を聞くリレー連載。今回は女優の秋吉久美子さんの虎の子の一冊です。1970年代に唯一無二の個性で青春映画のトップランナーに躍り出た秋吉さん。常に本音で発言することから、自由奔放なイメージも浸透しましたが、実は学びを極める人。40歳で米国のアートカレッジに留学し、53歳で早稲田大学大学院に進学しました。また、東日本大震災後には、福島出身であることから復興支援の大使も務めるなど、社会活動にも積極的です。常に挑戦を続ける秋吉さんを奮い立たせる一冊とは?

(上)震災後に力をくれた芦田淳の自伝的エッセー ←今回はココ
(下)「53歳で大学院入学は両親への供養だった」

人生に影響を与えてくれた「読んで気持ちがいい本」

―― 秋吉さんは、小さいころから読書家だったと聞いています。

秋吉久美子さん(以下、敬称略) 純文学デビューは小学生のころ、母が毎月取り寄せてくれた分厚い『世界文学全集』でした。それが届くのが楽しみで楽しみで。文学好きの父が愛読していた「小説現代」や「小説新潮」などの文芸誌も読んでいましたね。時代小説に推理小説、官能小説まで(笑)。高校では文芸部の部長をしていて、私小説も書きました。

 もちろん、ドキュメンタリーやエッセー、実用書も読むので、私の人生に影響を与えてくれた本をあげたらキリがないほど。でも、「読んで気持ちがいい本」というのはこの一冊。世界的に活躍されたデザイナーの芦田淳先生の自伝的エッセー『人通りの少ない道』(日本経済新聞出版)です。タイトルには、誰かをまねるのではなく、自分が信じる道を一筋に進むこと、という意味が込められているようです。

「芦田先生の服を着たくなるのは、品格が求められる場に立つときと、周りが騒がしいとき。騒がしさに流されず、自分を確立できる。先生の服を着ると芯がつくれるんです。ありがたいですね」
「芦田先生の服を着たくなるのは、品格が求められる場に立つときと、周りが騒がしいとき。騒がしさに流されず、自分を確立できる。先生の服を着ると芯がつくれるんです。ありがたいですね」

―― 芦田さんは2年前に他界されましたが、生前は十数年来、親しくされていたようですね。

秋吉 ええ、とてもかわいがっていただきました。芦田先生は、なんて言えばいいのでしょう、ダイナミックで生き生きとしていて、軽やかで伸びやか、とてもすがすがしい方でした。日本の服飾史に残る「選ばれし方」ですが、人を蔑むことも失礼なことも一切なくて、嘘もなし。たまに、子どもみたいに「もういい!」なんてプイっとするときもありましたが(笑)、切り替えが早いからすぐに忘れて笑顔に戻る。どうやったら、そんな風に生きられるのだろう、といつも不思議でなりませんでした。

1996年のアトランタ五輪で日本選手団の公式ユニフホームデザインを担当するなど、世界的に活躍したファッションデザイナー芦田淳(1930~2018)の自伝的エッセー
1996年のアトランタ五輪で日本選手団の公式ユニフホームデザインを担当するなど、世界的に活躍したファッションデザイナー芦田淳(1930~2018)の自伝的エッセー

秋吉 著書の中で印象的なエピソードは、1960年代に初めてフランスに行かれたときのこと。子ども服があまりにかわいくて、2人の娘さんたちのために段ボール3箱分も買って帰ったそうです。量の多さは尋常ではないにせよ、そこまではまああることとして、驚くべきはそのあと。なんと、自ら子ども服を手掛けるようになって、ブランド化してしまったんです。買い物からブランド化を直結させてしまうダイナミックさ。小さなきっかけを大きな一歩に変える、歩幅の大きさは、感服の一言に尽きますよね。

 そんな先生と著書は別物ではなく、完全に一致しているんです。だから読んでいると先生のことをありありと思い出せて、スカッと爽快な気分に。自分にも何かできることがあるのではないか、という力が湧いてくるんです。

―― 特に力をもらった出来事をあげるとしたら、何になりますか?