最愛の母の死のときも、この本が傍らに
望月 3年前、母ががんで亡くなったときでした。母は私たち子どもが独り立ちした後もずっと島田先生について気功を学んでいました。弟子入りも許されるところまで行きながら、いろいろ事情があって諦めたのですが、亡くなる間際、夢に島田先生が出てきたといってボロボロ泣いていて。本当はもっと気功をしっかりやりたかったんだろうなと感じました。
その頃の母は、かつて一緒に気功を学んでいた親友とも疎遠になっていたのですが、島田先生が夢に出てくるなんて相当心に引っかかっていたのだろうと思い、その親友の方に連絡をつけたところ、面会に来てくれて。母は大粒の涙を流して喜んでいました。最後にほんの少しだけ、親孝行ができたかなと思っています。
望月さんの生き方に大きな影響を与えた母の死から間もなく、望月さんに新聞記者としての大きな転機が訪れます。(下)では、権力と対峙し続ける記者としての姿勢についてお聞きします。
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⇒逆転の一冊 望月衣塑子「それでも、私は問い続ける」
取材・文/岩崎真美子 写真/洞澤佐智子
東京新聞社会部記者