最愛の母の死のときも、この本が傍らに

望月 3年前、母ががんで亡くなったときでした。母は私たち子どもが独り立ちした後もずっと島田先生について気功を学んでいました。弟子入りも許されるところまで行きながら、いろいろ事情があって諦めたのですが、亡くなる間際、夢に島田先生が出てきたといってボロボロ泣いていて。本当はもっと気功をしっかりやりたかったんだろうなと感じました。

 その頃の母は、かつて一緒に気功を学んでいた親友とも疎遠になっていたのですが、島田先生が夢に出てくるなんて相当心に引っかかっていたのだろうと思い、その親友の方に連絡をつけたところ、面会に来てくれて。母は大粒の涙を流して喜んでいました。最後にほんの少しだけ、親孝行ができたかなと思っています。

 望月さんの生き方に大きな影響を与えた母の死から間もなく、望月さんに新聞記者としての大きな転機が訪れます。(下)では、権力と対峙し続ける記者としての姿勢についてお聞きします。

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逆転の一冊 望月衣塑子「それでも、私は問い続ける」

取材・文/岩崎真美子 写真/洞澤佐智子

望月衣塑子(もちづきいそこ)
東京新聞社会部記者
望月衣塑子(もちづきいそこ) 1975年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造を暴く。現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出、軍学共同、加計学園疑惑などをテーマに取材を重ねている。二児の母。近著に同名映画の原案になった『新聞記者』(角川新書)がある。