ブレイディみかこさんの『逆転の一冊』は、金子文子著『何が私をこうさせたか 獄中手記』。壮絶な人生を送った文子を「人生の指針としてきた」というブレイディさん。100万部を突破した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ息子の一言をきっかけに生まれた小説『両手にトカレフ』にも、文子が重要な存在として描かれています。ブレイディさんを自身初の小説へと向かわせた、息子の一言とは?

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初めて「階層の違い」に気づいた高校時代

編集部(以下、略) ブレイディさんの人生において、いつ、世の不条理を考えるようになったのですか?

ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ) 私が通っていた公立の中学は、いわゆる“ヤンキー校”でした。私の家と同じような生活で、きつい環境にいる友達も少なくありませんでした。周囲が似たような境遇でしたから、私のしんどさも特別なものとは認識していませんでした。

 それが高校で進学校に行ったことで、自分と周囲の生活環境の違いが明確になりました。親の職業が医師、弁護士でずっと進学塾に通わせてもらっていた子がたくさんいて。教育、経済、文化の階層の違いに初めて出合い、あれ? と疑問が生まれました。私の執筆のテーマが、貧困と階級にあるのは、ここの経験も大きいです。

―― 都会から田舎に引っ越したことで、格差を目の当たりにした金子文子(大正時代のアナキスト)と同じですね。

ブレイディ そうです。貧しさって、相対的に感じるもの。中学校と同じような環境にいれば気づかなかったであろうことが、その外に出て私よりも恵まれた環境にいる人たちに出会ったことで、見えてしまいました。高校時代は特に、家庭ではつらいことが多かった。でも家庭での深刻な問題を、大学受験や将来の話で盛り上がっているクラスメートに言うと、なんとなく場の雰囲気を壊してしまいそうだし、どこか彼らを傷つけてしまうような気がして言えませんでした。こういう世界があることを知らないだろうし。

 家計のためにアルバイトをしていたのが学校に見つかったときは、教師から「今どきそんな家庭があるわけないだろう! うそをつくな!」と言われて、困りました。

「他者に保護され、導かれなくても、金子文子は彼女自身で自分を形づくっていった。そこに、圧倒されました」(ブレイディさん)
「他者に保護され、導かれなくても、金子文子は彼女自身で自分を形づくっていった。そこに、圧倒されました」(ブレイディさん)

―― ブレイディさんも文子もすごいのが、そういう、苦しい環境をはね返していくところですよね。「親ガチャ」という言葉で現状を受け入れていく若者のように、「仕方ない」とはならない。どうして諦めないでいられたのですか?

ブレイディ 支えてくれたのは、英国のパンクやロックでした。英国には「ワーキングクラス(労働者階級)」という言葉があります。「オレはワーキングクラス出身なんだ、貧乏だし、着ていく服もない!」などと歌詞に書きます。当時の日本だと貧乏はダサい、みじめという価値観でした。私はとてもじゃないけれどそんな歌詞を歌えないのに、英国のワーキングクラスにいる人たちは恥じていない。むしろあの時代のロックミュージシャンは、ワーキングクラスじゃないとカッコ悪かったほどです。

 自分の今の生活だって、場所が変わればカッコいいらしい。海の向こうではワーキングクラスはクールなのだという認識が、私の自尊心を守ってくれたんだろうと思います。私は、日本にいるよりも英国に行ったほうがいい! と決めました。大学には進学せず、バイトでお金をためて20歳ぐらいの頃、初めて渡英しました。別の世界を知ることは、救いにも希望にもなります。