人生における「逆転の一冊」を聞くリレー連載。今回は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が100万部を突破したライター・作家のブレイディみかこさんに聞きました。高校生の時、社会に存在する階級に気づいたブレイディさん。もがいていたブレイディさんがグッときた“逆転思考”、そして「ここじゃない世界」を見せてくれた逆転の一冊とは?

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きつかった子ども時代、自分の境遇と重ねた人物

編集部(以下、略) ブレイディさんが苦境に立たされた時期は、ありますか?

ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ) 大人になるまでが、きつかったです。今思うと、かけ落ち同然に結婚した若い両親は、子どもを育てる準備ができていなかった。肉体労働をしていた父は、大酒も飲みましたし、若い頃はやんちゃでしたから、母とケンカが絶えませんでした。近所に暮らしていた母方の祖母のところへ、「おばあちゃんの子どもになりたい!」と逃げ込むことも、少なくありませんでした。

―― そんな日々の中で、ブレイディさんにとっての逆転の一冊、金子文子著『何が私をこうさせたか 獄中手記』(岩波文庫)に出合ったのですか?

ブレイディ 金子文子の存在は、瀬戸内晴美(のちの瀬戸内寂聴)さんが文子の生涯を追った小説『余白の春』で知りました。私の祖母は裕福な家庭に育ったものの後に家が没落してしまった、文学通のインテリ。祖母の家にはたくさん本があり、その中に寂聴さんの大正時代の女性たちを描いた伝記小説シリーズがあったんです。祖母は日本の作家はあまり読まない人でしたが、ほぼ同時代を生きた人たちの評伝なので、懐かしかったんでしょう。

 寂聴さんは『美は乱調にあり』で伊藤野枝を、『かの子撩乱』で岡本かの子と、旧習にとらわれない、大正デモクラシーの女性たちの評伝を書かれていました。主人公の女性たちに憑依(ひょうい)するように情念を込めるのが寂聴さんの文体なのに、『余白の春』での文子については、書き方が違いました。距離を置いてジャーナリスティックに書いていた。本当に「余白」がたくさんあった気がしたので、気になって文子本人が書いた『何が私をこうさせたか 獄中手記』を手に取りました。私が、高校生になったばかりのころです。

1996年から英国・ブライトン在住のブレイディさん。「高校時代は特に、家庭でつらいことが多かった。当時の私を支えてくれたのは、英国のパンクやロックでした」
1996年から英国・ブライトン在住のブレイディさん。「高校時代は特に、家庭でつらいことが多かった。当時の私を支えてくれたのは、英国のパンクやロックでした」

―― 無籍者として育ち、周囲の大人に虐げられ続けるどん底から世の中を捉えた自伝ですね。文子ほどのひどい境遇ではなかったと思いますが、苦しい子ども時代を過ごしていたブレイディさんは、彼女の生涯に慰められ、共感するものがあったのでしょうか?

ブレイディ 自分に重ねたところは、あります。文子はまともに学校に行かせてもらえなかったけれど、とても学びたい意欲があった人だと思うんです。本も読みたいし新聞も読みたいけれどかなわないから、彼女は、部屋の壁に貼ってある古新聞の写真を見て想像を膨らませました。私の場合は福岡の小さな村で育ち、本はここじゃない世界を見せてくれるものでしたから。

―― 国家とさえ対決した文子の生き方に、多感な10代で出合った驚きも大きかったのでは?