自殺を思いとどまったときの金子文子のすごみ

ブレイディ 寂聴さんが取り上げていた自由な女性たちに比べると、『余白の春』では地味な印象でしたよ。例えば、女性解放思想家の伊藤野枝は、ダダイストの辻潤、アナキストの大杉栄ら日本史に名を残す男性たちに出会って感化されて、思想を獲得していきますよね。対して文子は、親に戸籍に入れてもらえないところからすさまじい虐待に遭い、住まいを転々とします。育った環境は、非常にきつい。国からも家族からも見放されていながら、地べたをはいつくばりながら生き延びます。

 のちに関東大震災の混乱のさなかに一緒に捕らわれた朴烈(パク・ヨル)と出会った頃には、自らの体験で思想を体得しています。他者に保護され、導かれなくても、彼女は彼女自身で自分を形づくっていった。そこに、圧倒されました。

初の小説となる『両手にトカレフ』(ポプラ社)の主人公は14歳のミア。図書館でカネコフミコの自伝に出合い、ミアの世界は少しずつ変わり始めて――。ブレイディさんの人生もまた、文子の『何が私をこうさせたか 獄中手記』に大きな影響を受けた
初の小説となる『両手にトカレフ』(ポプラ社)の主人公は14歳のミア。図書館でカネコフミコの自伝に出合い、ミアの世界は少しずつ変わり始めて――。ブレイディさんの人生もまた、文子の『何が私をこうさせたか 獄中手記』に大きな影響を受けた

―― 『何が私をこうさせたか 獄中手記』でも、意志の強さ、たくましさがものすごいです。

ブレイディ 文子の人生は、砂時計の砂が最後の最後に落ち切っても、そこから起死回生のように、ガッと反転するところがすごい。だから、自伝の書き口も感傷的にならず、自分の人生を淡々と冷静に振り返っています。

 文子らしいすごみがよく表れているのは、自殺を思いとどまるところ。食事も与えられず、あまりにもひどい虐待をされて、もう死ぬしかないと朦朧(もうろう)として川べりにいる。ギリギリのところで、せみの声から、この世界の美しさに自発的に気づく。世界と一体化した“気づき”という、自分自身の覚醒で自殺をやめ、別の世界がある。生きたい! と180度転換させます。こうした「覚醒」について文子は、「運命が私に恵んでくれなかったおかげで、私は私自身を見出した」とつづっています。

 普通なら、境遇を恨み、恥じて、だから私はだめなんだ、と自信が持てない方向へいきそう。ですが、彼女は、こういう境遇だから私は自分自身の頭で思考することができたと、とらえ方が逆転しているんです。これは、今逆境にある人々、特に若い人や子どもたちの心に何かを残す考え方ではないかと思います。