TEAM NACSを東京で認めてもらうために

伊藤 きっかけとしては、1990年代後半、大泉が『パパパパパフィー』という全国番組にレギュラー出演させてもらったことが大きいですね。その頃、2003年の地デジ化に向けてテレビ業界全体が変化のときを迎えていて、特に地方は「局が統合するかもしれない」とか「自社制作の番組が一切なくなる」とか、いろいろな噂がありました。

 正直「このままでは、食べていけなくなるかも……」という危機感が、ものすごく身近になってきて。舞台中心だった活動を映画や映像にシフトし始めたり、私自身もプロデューサーとしての勉強を本格的に始めたりしたのですが、エンタメを創造していく上でのさまざまな問題が地方都市にはあるのだな、と実感しました。東京に行って「TEAM NACSを俳優として認めてもらえるように、育てなければいけない」と強く思うようになりました。

―― 2004年にサザンオールスターズ、福山雅治さんらが所属する大手事務所のアミューズと業務提携しましたが、東京でのスタートは順風満帆でしたか?

伊藤 いえいえ、もう、東京へ行ってからはとにかく必死でした。提携は、私たちの事務所のことを知らないところからのお話でしたから、お互いのことを知るためにじっくりと時間をかけて取り組みました。

 関係者へのあいさつ回りなど、東京と札幌を行ったり来たりの生活が始まって。最初は東京のテレビ局にあいさつ回りをしても、TEAM NACSに興味を持っていただくことはあっても「オフィスキュー」という北海道の小さな会社に関心を示してくれる人はなかなかいませんでした。正直、とても悔しかったですね。