裏切り、病気、孤独、死別、離婚、失業――ARIA世代にはあらゆるピンチが襲ってきます。人生のピンチに陥ったときに、局面を打開するきっかけになった「逆転の一冊」とは? 連載第3回は、お笑い芸人・友近さんの虎の子の一冊です。「ひとりコント」やモノマネ、水谷千重子という演歌界のスターまで生み出す、今や唯一無二の人気女芸人。くすぶっていた芸人デビュー前夜、そして約20年の芸能生活について語ります。

(上)嫌われても構わない。もがいた20年 ←今回はここ
(下)自分を貫く理解者に出合えた本

理想と現実との狭間で悶々としていた、リポーター時代

―― 幼い頃からお笑い好きで、目指した通りの道を歩んでいるように映る友近さん。もがき、苦しんだ時期はあるのでしょうか。

友近さん(以下、敬称略) NSC(吉本総合芸能学院)に入る前の、地元の愛媛でテレビリポーターをしていた20代前半はしんどい時期でした。

芸人としてはもとより、演歌界のスター水谷千重子としては明治座での初座長公演を成功させ、女優としては『中学聖日記』に出演するなど、八面六臂の大活躍。そんな友近さんにも悶々とした気持ちを抱えていた日々がありました

 大学在学中のアルバイトから、そのままテレビリポーターの仕事をするようになりました。でも、本来私がしたいことは「芸をすること」。ネタをやりたい人間なのに、ネタを見せるわけでもなくテレビに出ている。よく分からないカテゴリーの自分が面白いことを言うわけでもない。なんとなく楽しそうに振る舞ってテレビに映っていることに苦々しい気持ちでいました。

 あくまでもレポータ―なので当然、自分のネタを見せる機会もありません。やりたいイメージはありながら、私自身もちゃんとしたネタを作ることもしていませんでした。レポータ―として出演した番組をチェックしながら、「うわぁ、全然おもんないヤツやと見ている人は思っているやろうな。何やっているんやろう……」と落ち込みました。

―― 「愛媛のスター」だと思っていたのですが、そんな思いを抱えていたのは意外です。

友近 リポーター時代の私は、不特定多数の人に対して「いつか絶対みんなを見返してやる」と復讐するような気持ちでいました。面白いことを何もできていない自分に対するものすごく勝手な被害妄想だったんですけど(笑)。

 そういう悶々とした数年間を経て、覚悟を決めて26歳のときにNSC大阪校に飛び込みます。私は、とにかくお笑いが好きで、毎日お笑いのことばかり考えています。でも、それをそのまま純粋に出せる番組って、なかなかないんです。