努力していれば、チャンスは必ず訪れる

デヴィ夫人 この部分を読んだときに、どんな人でも妥協をしなければならない局面は起こりうるのだと学びました。

 わたくし自身、大統領の葬儀後にインドネシアで財産を没収され、パリでゼロからビジネスを学び、欧米の会社のエージェントとしてジャカルタでビジネスを始めたときがまさにその局面でした。かつて配下だった人にも頭を下げ、屈辱に耐えなければなりませんでした。でも「仕事を成功させるため」という目標があったからプライドを抑えることができたのです。

 人生は戦いだと思っています。間違っても間違ってもやり直す、失敗してもやり抜く不屈の精神で生きてきました。

 日経ARIAの読者の方にお伝えしたいのは、自分の目標や目的、使命感を持ってもがき、努力している人には、必ずチャンスが訪れるということです。そしてどんなつらい状況も考え方一つで大きく変わる。幸せは自分の心が決めるものだということです。

「傘寿記念 デヴィ・スカルノ展 わたくしが歩んだ80年」
開催/2020年3月10日~18日
場所/松屋銀座8階イベントスクエア(東京都中央区銀座3-6-1)
料金/一般1200円
デヴィ夫人の激動の80年に迫る展覧会。自宅に保有する多数のオブジェや絵画、社交界で着用したドレスやジュエリー、自身が描いた絵画約20点が展示される。デヴィ夫人の邸宅を再現した展示スペースにも注目。
展覧会の一コマ。デヴィ夫人が描いた絵を前に、友人の神田うのさんと
展覧会の一コマ。デヴィ夫人が描いた絵を前に、友人の神田うのさんと

取材・文/中城邦子、市川礼子(日経ARIA編集部)、写真/洞澤佐智子

デヴィ・スカルノ夫人
デヴィ・スカルノ夫人 1940年、東京都生まれ。本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ、旧名:根本七保子。定時制高校に通いながら15歳から働き、母と弟を支える。19歳でインドネシアのスカルノ大統領と出会う。1962年、母と弟を相次いで亡くす。22歳で大統領夫人に。インドネシアの政変後、パリに亡命。1990年にニューヨークに移住し、国連環境計画の特別顧問として活躍。現在は活動基点を日本に置く。日本人で海外の国家元首の妻になった初めての女性。趣味は絵画