たとえ殺されても、本望を果たす

デヴィ夫人 さらに、3歳の娘と乳母の3人でジャカルタから入国する前には、インドネシアの武官たちに「どうしても行くなら命の保障はありません」と言われました。そのとき、「もし殺されるようなことがあったら、1分でも1秒でもいい、娘の命をわたくし自身の手で止める力を与えてください」と祈りました。娘一人を敵の手に残して先に逝くことだけは考えられなかったのです。

 ゼロから始まった人生ですから、ゼロに戻ったって構わない。大統領に会いに戻って殺されるのなら、本望だと思ったのです。

『マリー・アントワネット上・下』(シュテファン・ツヴァイク著、写真は角川文庫)1881年、ウィーンに生まれたツヴァイクによる伝記作品
『マリー・アントワネット上・下』(シュテファン・ツヴァイク著、写真は角川文庫)1881年、ウィーンに生まれたツヴァイクによる伝記作品

アントワネットvs. デュ・バリー夫人

―― 「デヴィ夫人」としての生を全うすることを選ばれたのですね。傘寿を迎えられた今、日経ARIA読者にアドバイスするとしたらどんなことでしょうか。

デヴィ夫人 日経ARIAの読者がビジネスの世界で頑張ってきた方なら、きっと理不尽に泣いたり、不本意でも状況を受け入れざるを得なかったりという経験がおありでしょう。

 『マリー・アントワネット』の中で、こんなシーンがあります。

 当時のマナーでは地位が最も上の女性から言葉をかけられるまで、下の者から話しかけることは許されていなかったのね。でも、王太子妃であるマリー・アントワネットは国王ルイ15世の愛人デュ・バリー夫人にいつまでたっても言葉をかけない。業を煮やしたデュ・バリー夫人は、ルイ15世を毎日せっついて自分に話しかけるよう圧力をかけさせるのです。ついにはフランスと祖国オーストリアの外交問題にまで発展しそうになり、マリー・アントワネットは声をかけます。

 「今夜は(ヴェルサイユは)大変なにぎわいですこと」と。「ボクー・ド・モンド・セ・スワー」。生涯にこの一言だけでしたが、デュ・バリー夫人への敗北を受け入れたのです。

―― ARIA世代のバイブル『ベルサイユのばら』(池田理代子作)でも描かれているシーンですね。