人生における「逆転の一冊」を聞くリレー連載。今回はデヴィ夫人こと、デヴィ・スカルノさんの虎の子の一冊です。今年80歳を迎えたデヴィ夫人がインドネシアのスカルノ大統領と運命の出会いをしたのは19歳。華やかな人生を送ってきたかに見えるデヴィ夫人にも貧困、最愛の母・弟との別れ、そして社会の激動に巻き込まれた苦難の時代がありました。10代から今に至るまで心に刻まれる言葉が記された、運命の一冊とは?
(上)貧しさと敗戦経験は神様からのギフト ←今回はココ
(下)人生は戦い。何度でもやり抜く
10代で読みあさった世界の名著
―― 19歳でインドネシアのスカルノ大統領に見初められ、日本人女性として初めて海外の国家元首の妻となったデヴィ夫人。波瀾(はらん)万丈という一言ではまとめ切れないほど濃い人生を送っているように見えます。80年間を振り返って、ズバリ「逆転の一冊」はなんでしょうか。
デヴィ夫人 『マリー・アントワネット』(シュテファン・ツヴァイク著)です。わたくしがこの本を読んだのは、17、18歳の頃。今から60年以上も前で、テレビなどまだない時代。唯一の楽しみは読書でしたから、『マリー・アントワネット』以外にも、トルストイ、ブロンテ、モーパッサン、スタンダール、バルザックなどが書いた世界的な名著を読みあさっていました。
スタンダールの『赤と黒』を読めばレナール夫人に、バルザックの『谷間の百合』を読めばモルソフ夫人になりきって。後にフランスに亡命することになり(1965年にインドネシアで軍事クーデターが勃発したため)、パリの町に初めて立ったとき、「ああ、ここはわたくしの頭の中にあったパリだわ」と思いました。フランスの上層社会がどのようなものかは、読書のおかげで頭に入っていたくらいです。
王妃としての幸せか、女としての幸せか
デヴィ夫人 『マリー・アントワネット』には、今でも深く心に刻まれた一節があるの。「アントワネットがおかした致命的な失敗は、王妃としてより女としての幸せ(編集部注:中野京子訳・角川文庫版では「女としての勝利」)を望んだこと」という一節ね。まだ10代でしたけれど、ものすごく感銘を受けました。
それから数年後、大統領とお会いして結婚したときに、「女性として幸せになることを追うのではなく、大統領夫人としての人生を全うしよう。自分を無にして国民のために生き、大統領のためにお尽くししよう」と決心したのです。
―― 異国の地で国家元首の妻として生きたマリー・アントワネットと、ご自身の境遇を重ねて考えることはありましたか?
デヴィ夫人 先ほど申し上げたとおり、読書をしているときは物語の世界に入り込んでいましたし、大きな影響を受けた一冊なのは間違いありません。ですが、わたくしとマリー・アントワネットでは境遇が全く違います。マリー・アントワネットは当時ヨーロッパを支配していたハプスブルク家の皇女(マリア・テレジアの娘)でしょう。
わたくしは、第2次世界大戦が始まった翌年、1940年に東京の麻布霞町に生まれました。父は大工でしたが、空襲に遭った人の家を無償で建てたり修繕したりで収入が少なく、母の内職でやりくりする暮らし。戦後、誰もが貧しかった時代ですが、わたくしの家は学校に納めるお金も滞るほどでした。
しかも後妻だった母は、先妻の子どもがお金の無心にくると、なにがしかのお金を工面して渡さざるを得なくて。お金に苦労する母の姿を見て育ったわたくしは「いつかきっとお金持ちになって、お母さんに楽をさせてあげたい」と心に固く誓っていたのです。