村木 係長だった時の課長補佐との関係、課長補佐だった時の課長との関係は、どこか兄弟にも似た関係でしたが、課長になると父親のような感覚になって。それまでとは違うプレッシャーがのしかかってきました。

―― 管理職としての難しさはどのようなところで感じましたか?

村木 担当する部署全員のことを直接把握できないことが増えたことです。課長の下に課長補佐がいると、その下の係長、係員とどのような関係を築くべきか悩みましたし、自分が預かり知らないことが増えた状況に最初は焦りました。

 さらに難しく感じたのが、49歳で(厚生労働省大臣官房)審議官になり、個室を与えられてから。大部屋とは違って、部下と同じ空間にいない中で、自分が部下の仕事をちゃんと把握できているか、ちゃんと大局を捉えて発言ができているか、という部分はとても難しかったです。

相手が成長できるように叱ることの難しさ

村木 最初は宗方コーチが厳し過ぎて、ひろみは大変だな……と思っていましたが、だんだんと、やらせているコーチもつらく大変な思いをしていることが分かるんですよね。

 感情にまかせて怒ることは誰にでもできるけれど、相手が成長できるように、心を折らないように叱ることは難しい。指導は、相手を思い、相手のことをよく分かっていないとできないことです。宗方コーチや桂コーチはある意味、理想の上司。ああいうふうにはなかなかできないなと思います。

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―― 村木さんがあの事件に巻き込まれたとき、つらくて涙を流すことはあったのですか。

村木 逮捕されてから無罪になるまで、泣いたことは何度かありますが、せいぜい30秒くらいで泣きやんでいました。