人生における「逆転の一冊」を聞くリレー連載。今回は大江千里さんの虎の子の一冊です。1990年代に『格好悪いふられ方』『Rain』『十人十色』などのヒット曲を連発。俳優や司会者としても活躍していた大江さんは、47歳で全活動をストップしてジャズの名門大学に留学しました。現在はジャズピアニストとして活躍する大江さんを奮い立たせる一冊の本とは?

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「ここで行かなきゃ、この先で二度とチャンスはない」

―― 2008年、47歳のときにすべての活動をストップして、ニューヨークにあるジャズの名門大学「ニュースクール」に留学。大きな決断でしたね。

大江千里さん(以下、敬称略) 渡米する前は、司会もコンサートも役者も、全部が面白くて「一つも辞めたくない」と思っていました。なかでも「シンガーソングライター」という仕事は天職だと思っていて、一番大切なものだった。でも、「人生の第一章」を終えて、分散していたすべての力をジャズに注いでみたい、と思ったんです。もともと10代の半ばに、ジャズへの憧れを抱いていました。けれど、ジャズを弾くには何十年もかかるのではという直感があって。そのうちポップ歌手としてデビューというチャンスがやってきて夢中で食らいつき、ジャズは心の奥底に眠らせた状態でした。

「僕はすごく怖がりで、お金はできるだけ持ち歩かない。暗い道は絶対に通らない。細心の注意をしているけど、音楽が聞こえてくると暗くて怪しい店でも入ってしまうようなところがあるんです」
「僕はすごく怖がりで、お金はできるだけ持ち歩かない。暗い道は絶対に通らない。細心の注意をしているけど、音楽が聞こえてくると暗くて怪しい店でも入ってしまうようなところがあるんです」

―― 留学に至るきっかけはなんだったのですか。

大江 30代の頃、4年間ぐらいニューヨークと日本を行ったり来たりしていたんです。僕にとってニューヨークは「欠けてる」がキーワード。電車はすぐ止まるし店も閉まるし、民族によって祝日が違うから年がら年中祝日で、なにかと不便で。でも、「ないから見える、あると分からない」ものってあるんです。

 滞在の最後にアパートを引き払って「現実の世界に帰るんだ」と日本に戻る日、「I miss you」と街を振り返ったら、街は「機会があったらまた来れば? Bye!」って、すごいクールな印象で。ちょっと待ってって感じた(笑)。当時、僕はもう二度と来ることはない、なんて思っていたんだけど、そのとき一つだけ思ったんです。「万が一、もし戻ることがあったら、移住しよう」って。

 その思いは、自分の中の細胞に刻まれていました。ずいぶんたって40代後半になり、マンハッタンのブライアント・パークで冬に歩いていたら、手袋をしてサックスを持ち、白い息を吐くジャズマンとすれ違った。そのときに僕は「やっぱりこの街でジャズがやりたい!」と思ったんです。

 その瞬間をフリーズして持ち帰ってしまって、秋に音楽大学に出願したら、合格通知が届いて。「ここで行かなきゃこの先で二度とチャンスはないかもしれない」。青信号がぱっとともって、わしゃ止まらんのじゃ~と渡米して、気がついたら13年目です。