愛妻カミーユと後の妻アリス、8人の子どもたちと暮らす

 モネは26歳のときに7歳年下のカミーユと恋に落ち、翌年息子が生まれます。愛妻カミーユや息子をモデルにいくつもの作品を描いていますが、絵はさっぱり売れず貧窮を極めました。

 そんなモネの最初のコレクターだったのが、エルネスト・オシュデとアリス・オシュデ夫妻。『印象、日の出』を最初に購入したのもオシュデでした。ところがオシュデが事業に失敗し破産。オシュデ夫妻とその子どもたち6人と、やはり生活が苦しいモネの一家が、一軒家を借りて共同生活をすることになったのです。モネ38歳の時です。

 狭い家での12人の共同生活が始まるや否や、オシュデが職を探しに行くといって出て行ったままとなり、オシュデの妻アリスと6人の子どもが残されました。しかもモネの妻カミーユは次男を妊娠後から体調を崩し、ついには1879年、32歳の若さで死去。モネは、自分の息子2人とアリス、さらに残された6人の子どもたちを養っていくことになりました。妻を亡くしたモネと、夫が失踪したアリスの暮らしはその後、死が二人を分かつまで続きます。

モネ人気がアメリカにも伝播。ジヴェルニーで『睡蓮』の連作に没頭

 「モネの名声が高まるのは、1886年にニューヨークで印象派の展覧会が開催され、成功を収めたころから。フランスだけでなく、アメリカにも顧客を得ることになります。パリ郊外のジヴェルニーに家族と移り住み、経済的に余裕が生まれると、1893年には隣接する土地を購入。庭づくりにも精を出しました。庭には睡蓮が咲く大きな池を作り、『睡蓮』の連作に没頭していきます。約30年にわたって200点以上が制作されました」(千速さん)

クロード・モネ『舟遊び』
クロード・モネ『舟遊び』
1887年/油彩・キャンバス/国立西洋美術館(松方コレクション)
ジヴェルニーの屋敷から近い川で舟遊びに興じる様子は、モネが多くの作品で描いた。2人の義理の娘が水面に映りこむ様子が多彩な色で表現されている。公開中