『睡蓮、柳の反映』が発見されたときは、上半分が失われた無残な状態だったそうです。疎開先で上下逆さまに置かれていたせいで、床に接していた画面上部が水や湿気により破損が進んでいました。ようやく帰国を果たした『睡蓮、柳の反映』は、松方家からの寄贈により、修復を経て60年後の公開となったのです。

 「歴史的資料としての価値も重視して、今回は修復の手を加えるのを最小限にしていますが、科学調査によって過去に修復の手が入っていない、モネの貴重なオリジナルであることが分かりました」(国立西洋美術館研究員・邊牟木尚美さん)

クロード・モネ『睡蓮』
1916年/油彩・キャンバス/国立西洋美術館(松方コレクション)
『睡蓮、柳の反映』とともに、1921年に松方がモネのアトリエを訪れて購入。松方コレクションの2つの『睡蓮』は、後にオランジュリー美術館に設置される『睡蓮』の大装飾画が完成する前にモネのアトリエから出た貴重な関連作品とされている。公開中

印象派の巨匠・モネは、似顔絵が得意な少年だった

 少年時代から似顔絵が得意だったモネは、本格的に画家を目指すために19歳でパリに移り、ルノワールやシスレー、ドガらと出会います。

 「人物画と言えば歴史上の人物が当たり前、写実的であることが評価され、絵は屋外ではなくアトリエで描くものという時代に、モネは屋外に出て見たままを描こうとしました。むろん、旧体制派であるフランス芸術アカデミーのサロン(官展)は従来の枠からはみ出した作品を認めようとしませんから、落選が続きます。

 そこで1874年、34歳のモネは、ルノワール、シスレー、ドガ、ピサロらとグループ展を開いて作品を発表。印象派が誕生したのです」(成安造形大学教授・千速敏男さん)

今回のドヤ顔ワード1
第1回のグループ展にモネが出品したのが『印象、日の出』。その自由で大胆な筆遣いは、評論家には殴り描きにしか見えず「確かに印象のままだ。作りかけの壁紙よりひどい」と酷評されたことが「印象派」という名称の由来!