―― そんな家族の中で育った息子さんはどんな方なのでしょう。

マリ 今、24歳でハワイ大学でエンジニアの勉強をしています。見た目にはポリネシア人のおっさん、及びお坊さんみたいな佇まいになっています。彼も彼なりに幼い時からさまざまな経験や感情と向き合ってきたので、時々悟りの境地にいるような発言をすることがある。夫は疲れたときなど、「ぼちぼちデルス(息子さんの名前)のお言葉をいただくとするか」とか言って、息子に電話をするのを楽しみにしています(笑)。「デルスじゃなきゃ言えない言葉がある」と言って、「デルシズモ」という言葉まで造語しています。

 息子は最近、玄奘三蔵にハマっているようでその話をよくしてきます。仏教というのは、ヨーロッパ人にとっては宗教というより哲学、思想と捉えられています。夫と息子はイタリアにいる間、時々スロベニアにある小乗仏教のお寺に遊びに行く事があるらしく、昨年も朝から晩までお坊さんたちと禅問答してきたそうです。逆にイタリアの実家にお坊さんが遊びにきて、夫の父(エンジニア)が作ったバイクにお坊さんがまたがった写真が送られてきて、「彼らはベッドではなく床に寝て過ごしました」と書かれている。普通に小乗仏教のお坊さんが遊びに来るなんて、いったいどういう家なんだか。

―― そうなりたくてもなかなかなれないユニークな家族ですね。

マリ 誰も家族のあり方の理想なんて持っていません。こういう家族であろう、なんてちっとも思っていない。うちは、私・夫・息子と全員が14歳違いで、みんな他の人のことを考えるゆとりがない者同士の家族だったので、自分で自分のことをやるしかない、という状況でここまできました。みんな、誰かにかたどられたフォーマットにはまろうとするのではなく、それぞれがそれぞれに見合った成長をしています。

 会うたびに慌ただしい私に向かって諦観の笑みを浮かべている息子の顔を見ていると、こいつは3年後にミャンマーあたりで肩にオウムを乗っけて竪琴を弾きながら過ごしているんじゃなかろうか、なんて想像をしてしまいます(笑)。リョウコもそうだったように、着地点が見えないのが面白いですね。当然、つらいも悲しいもいろいろあるでしょうけど、それもすべて人間という生き物の生き方。残りの人生何があるんだろうと思うだけでかなり楽しみです。

取材・文/柳本 操 写真/洞澤佐智子