マリ 自分の行く道にふと出くわすフタは全部開けていますね。開けていいかどうかも考えていない。フタに取っ手が付いていたら「開けていいよ」ということだろう、と思いますから。当然、開けて失敗もあります。でもそれを踏まえていかないと、自分という人間があるべき形に形成されていかない、とも思うんですよ。
みんな、たぶん「怖い」とか「これを開けて取り返しがつかないことになったら」と思うのでしょう。でも、良識さえあれば意外と取り返しのつかないことにはならないものです。目に入ってきたフタは開けるべき。失敗も辛酸も含めて、はしょっていくと、その分自分が不完全になるように思うんです。
私はあえて自分にサディスティックに進む。もちろん、開けたいという気持ちが湧いたらですけどね。子どもの頃に心霊写真があったら「怖いけど、見たい!」って思いませんでしたか。気持ち悪いものや怖いものを見ておくと、免疫がつくかなぁという感覚です。自分で受け止められる範囲のものであれば吸収しておきたいのでしょう。
フタはパパッと潔く開けて、人生の糧にしよう
―― マリさんに転機が訪れた時のように、究極に追い込まれて初めて出てくるエネルギーがあるのかもしれません。一方で、ぬるま湯な状態だとかえってリスクや不安にばかり目がいってしまうのでしょうか。
マリ 人間って、そもそも不安や失敗も全部取り込んで生きていく生態を備えた生き物なのだと思っています。蝶には蝶の生態があり、アルマジロにはアルマジロの生態がある。人間という生き物として命をいただいたからには、きちんとその生態を満遍なく活用したほうがいい。
怖いから、と避けてばかりいると何らかのしわ寄せがくる。自分は大丈夫でも、例えば子育てに影響するとか、偏った負荷は他に伝わっていく。だから、フタがあれば潔く開けて、それによって経験値を高めていけばいいんです。そうすると、年を重ねるごとに「こうすればきっとこうなるだろう」っていう察しもつくようになる。どんどん頑強になって生きる事に打たれ強くなると同時に、冷静さと穏やかさも身に付けられる。
私が歴史マンガを描くのも、根源は同じです。