イタリア、シリア、ポルトガル、アメリカなど世界を行き来しながら国境のない日々を送るマンガ家・ヤマザキマリさん。マリさんの母リョウコさんもまた、音楽と娘、そして自身の人生を愛する、何から何まで「規格外」の母だった! ヴィオラ演奏家として世界を駆け巡りながら、シングルで娘2人を育て上げた破天荒なリョウコさんからマリさんが学んだこととは? 濃縮3回シリーズ、第2回は「マリさんの3回の転機」についてです。

(1)この地球でいかに面白く楽しく生きるか
(2)私が歴史マンガを描き続ける理由 ←今回はココ 
(3)『フランダースの犬』のネロにはならない!

最大の転機は、14歳の時。「もう一人の自分」を見つけた

―― マリさんはこれまでの人生で、「いわゆる普通の人生」では遭遇しないような、さまざまな体験をされてきました。ご自身の半生を振り返って、転機はどこにあったと思いますか?

ヤマザキマリさん(以下、敬称略) 頭に浮かぶ転機は3回ありますね。最も画期的だった転機は、「14歳の冬、ヨーロッパへの一人旅」。中学2年の三者面談の時、「画家になりたい」と担任の先生に告げると、「趣味でとどめておくべきじゃないの」と苦笑いされたんです。母・リョウコはきっぱり「そうかもしれませんけど、本人の人生ですから本人に決めさせます」と言い切った。

 間もなく私は「一カ月間、ヨーロッパに行ってきてよ」と言い渡されました。さらに「パリでルーヴル美術館へ行って、その感想を教えてほしい」と。つまり、お金になる・ならない以前に人々は何世紀にもわたって絵を描いてきた。ルーヴル美術館は、その何世紀にもわたる絵の宝庫。実際に本物を見て、その後に本当に絵描きになりたいのかどうか自分で考えろ、という意味だったんですよ。

 息子を育てて分かったのは14歳なんてまだほんの子どもということ。英語もろくにできない娘をよくぞ旅立たせたと思います。そもそも海外旅行だなんて、『ドラえもん』の中ではスネ夫しか行けないような時代でしたからね。

―― そこで、どんな出来事があったのですか。

マリ ある時、泊まろうと思っていたパリのホテルをオーバーブッキングで追い出されました。泊まる宿もなく日は暮れていくし、おなかもすく。わずかに持っているお金で泊まれる宿はあるのか、と歩き続けました。

 確かに子どもの頃から留守番ばかりしていたし、一人で飛行機に乗って東京の祖父母に会いに行くのも慣れていました。でもなんだかんだで母のことを頼りに生きていたわけです。それが突然母どころか自分のDNAとも完全にかけ離れた土地にいて、誰にも頼ることができない。この地球とどう折り合って生きていけばいいのか。14歳の私は途方に暮れていました。隙を見せたらどんな事件に巻き込まれるか分からないから、表情は険しくしていましたけど、心細くて泣き出したい気持ちにもなっていました。

「一人旅の最初の2日間、私がリョウコに連絡を入れなかったら、リョウコは周囲の人にすごく叱られたとか。その2日間は死ぬほど悩んだらしいです」