海洋散骨を手掛ける会社を起業し、2度の経営危機を乗り越えた村田ますみさん。終活がブームになり、セミナーや相談の仲介などに事業が広がっていった。葬祭事業にとどまらず、地域の高齢者の居場所作りなど日々生きる人のための事業を、カフェを舞台に広げていきたいという。

(上)母の最期の願いを受けた「海洋散骨」がライフワークに
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「同じ職が3年と続かなかった。起業して12年、こんなに長く続いた仕事は初めてなんです」
「同じ職が3年と続かなかった。起業して12年、こんなに長く続いた仕事は初めてなんです」

 55歳の若さで亡くなった母を見送った体験がきっかけとなり、散骨コーディネートと船上セレモニー全般の企画、運営などを行う「ハウスボートクラブ」の代表取締役社長になった村田ますみさん。それまでは、学生時代の起業に始まっていろいろな職を転々としてきた。

 「私の人生で、こんなに長く続けられた仕事はないんです。20代の頃は3年以上勤めた会社はありませんでした。嫌になったからやめるのではなく、いつも新しい体験を求めていろいろな業界、職種で働いてきました」

 現在の会社を起業したのは34歳。そこからは、人生のパートナーである村田弘英船長の船に乗っている。二人の間に生まれた娘は、ハウスボートクラブの歴史と同い年、12歳になった。