亡くなった人の遺灰を海の上で見送る「海洋散骨」。ハウスボートクラブ代表の村田ますみさん(46歳)は、「死んだら遺灰を沖縄の海にまいてほしい」と望んだ母の散骨をきっかけに、海上セレモニーの会社を起業、葬祭業界に新風を吹き込んだ。「終活と生き方を考えるコミュニティーの場」としてカフェもオープンし、多様な人がつながる場を提供している。

(上)母の最期の願いを受けた「海洋散骨」がライフワークに ←今回はココ
(下)地域の高齢者が集う「みんなの食堂」生きる人を支える

 海の家を思わせるカウンターと、陽光が差し込む空間。ランチタイムにはカレーのスパイスの香りが漂うカフェに真っ青なワンピースで現れたのは、オーナーの村田ますみさんだ。

 日本にほとんど前例がなかった、海洋散骨を行う会社を2007年に設立。起業のきっかけとなったのが、55歳の若さで亡くなった母だった。胸に付けたペンダントの中には、母の小さな遺骨が眠っている。

海洋散骨のセレモニーを手掛ける会社を起業して12年。ハウスボートクラブ代表の村田ますみさん
海洋散骨のセレモニーを手掛ける会社を起業して12年。ハウスボートクラブ代表の村田ますみさん

55歳で逝った母を1年後、沖縄の海に見送る

 「あなたの未来が見られないのが残念だわ」

 村田さんの母は10カ月の闘病生活の末に、2003年の秋、急性白血病で亡くなった。享年55だった。

 今でも思い出すと、涙が出てしまうという。

 母が最期に希望したのが「お墓に入りたくない。ダイビングで行った沖縄の海に眠りたい」ということだった。悲しみに暮れる中、村田さんは、懇意にしていたダイビングショップのオーナーに頼み、船で海に出た。当時は散骨をする人はほとんどおらず、海上でセレモニーをしてくれる業者をネットで探した。

 母が亡くなって1年間、そばに置いていた遺骨。その一部を粉状にした遺灰が、青い海の中へ沈んでいくのを見て村田さんは何かが吹っ切れた。母を見送って沖合から陸に戻る途中、海上を照らす一筋の光に「人生が変わっていく予感」を覚えたという。