初年度の受注はわずか6件

 一般的な海洋散骨の流れはこんなイメージだ。

 遺骨はあらかじめ粉状の遺灰にする散骨できるエリアは決められているので、依頼者は希望のエリアに出航する船のスケジュールに合わせて予約を取り、乗船して船の中から散骨を行う。諸事情によって立ち会えない場合は、遺骨を預け、散骨を代行してもらう「代行委託散骨」もある。

 散骨ポイントに着いたら1組ずつセレモニーを行う。用意された献花用の花びらを海にまいて黙とう。散骨の際は号鐘と汽笛が鳴らされて厳かな雰囲気になる。その様子は撮影して、散骨証明書とともに後日、記念写真として渡される。セレモニーが終わると、散骨場所の周りを船で3周ほど回ってから陸に戻る。

 船を購入して起業した村田さん夫妻だが、初年度の受注件数はわずか6件だった。

 「仕方ないですよね。誰も海洋散骨なんて知らないですし、営業をしようにもどこに行ったらいいか分からない。あまりに事務所の電話が鳴らないので壊れているんじゃないかと思い、自分で事務所に電話して『あ、ちゃんと鳴るね』と(笑)。それぐらい受注が全くなかったんです」

 「墓じまい」が話題の今なら、散骨のメリットも自然に受け入れられるが、当時は「骨を海にまくなんて」という批判も強かった。特に墓石事業の関係者からは冷たい視線を浴びせられた。

 だが当時から、ハワイなどでは海洋散骨は珍しくなかった。2004年に亡くなったプロウインドサーファーの飯島夏樹さんは、最後の闘病生活をハワイで送り、死後はハワイの海に散骨された。彼が自身をモデルに描いた小説『天国で君に逢えたら』は映画化された。映画では飯島さんの散骨シーンもあり、少しずつ日本でも散骨が知られる土壌はできていた。

海洋散骨の様子。粉状にした遺骨を水に溶ける紙に包み、花とともに沖合の海にまく
海洋散骨の様子。粉状にした遺骨を水に溶ける紙に包み、花とともに沖合の海にまく