「表情研究家」の仕事が軌道に乗った直後の「乳がん」

 広瀬さんは大学を卒業後、外資系ハイブランド企業に入社。退社後、26歳で結婚し、夫の留学に伴って米国で3年半暮らした。

 帰国後、30代の初めに、都内で矯正歯科のクリニックを夫が開業。共に経営を支え、「30代の10年間は死に物狂いで働きました。妊娠中も、仕事から自宅に戻るのは午前3時とか4時。出産で入院している間も個室で仕事をしていました」

 忙しい日々を送りながらも、40歳を前にして「やりたいこと」が形になってきた。「20代の頃から、なぜか人の『表情』に関心がありました。海外には表情学という学問分野があり、日本ではまだマイナーでしたが、留学先で勉強する機会を得ました」

 クリニックでは、歯列の矯正をする患者さん向けのカウンセリングも担当していた。「歯並びの悪い人は笑顔がゆがんだり、コンプレックスがあって笑えなかったりします。矯正している期間にだんだん表情が美しくなって、最後に器具を外して写真を撮るのですが、だいたいの方はとてもいい笑顔になります。でもたまに、うまく笑えないという方がいてなぜだろうと思いました。自分が勉強してきた表情学の知識を生かして、笑顔のトレーニングをしてみたらどうだろうと考えました」

 そこで広瀬さんはクリニックの仕事の傍ら、クリエイトスマイルという名のオフィスを作り、診療がない日に笑顔トレーニングの個人指導を始めた。当初はクリニックで矯正の治療が終わった人向けを想定していたが、実際に来るのは矯正とは無関係の人ばかり。「インターネットのホームページを作っただけで宣伝もしていないのに、北海道から九州まで、笑顔で悩んでいるという方たちが全国から来るようになりました」

 そのうち、メディアで取り上げられることが増えてきた。「表情研究家」としてテレビ番組に出演したり、取材を受けたりと多忙を極めるようになり、マネジャーも付けることになった。

 初の著書も出版し、出版パーティーやトークショーなど予定が目白押しだった2009年の秋。夜中に片方の乳房が痛み始めた。しこりがあることに気付き、ネットで調べてみて「がんかもしれない」と直感。乳がんと診断されると、すべての予定をキャンセルした。「せっかくここまで頑張ってきたのに、正直、『ああ、終わった……』と思いました」

 しかし手術の予定は3カ月も先だった。最初は落ち込んでいた広瀬さんは「こんなことではいけない。手術までに体力を付けて、絶対に万全の体調で臨もう」と決心。覚悟を決めると、5kmのランニングを日課にして、手術までの日々を明るく過ごしていたという。

 ところが手術後、思わぬ試練が待ち受けていた。