メイクアップアーティストの平井聡子さんは、高校を卒業して化粧品会社に美容部員として就職。メイクの腕を磨き、やがてマネジメントの仕事にも開眼、しかし33歳のときに、シビアな会社から出産後の復帰を懇願される人材になれたことで潔く退職を決断する。子育てをしながら焦ることなく今できることを続けていた平井さんの仕事人生が再び本格的に動き出したのは30代後半。それは、会社員時代とはまるで違う、「目標を決められない」歩みだった。

(上)2年間で1万人 「田舎回り」で鍛えられたメイク技術
(下)働くチャンスが来るたび夫に転勤 それでも折れなかった ←今回はココ

「子育て=ブランク」に怒り 一気に企画書を書き上げた

 娘に続いて36歳で男の子を出産し、2人の子育てをしていた平井さんがある日近所の公園に行くと、顔見知りのママがいた。沈んだ様子でいるので「どうしたの?」と声をかけると、「働きたいのに全然うまくいかない。やっと面接までいけても、ブランクがありますねと言われて、ショックで……」と。

 「それを聞いて、子育てがブランクとは何事だ!ってカッチーンと来たんです(笑)。その日の夜、子どもたちを寝かしつけた後に、パソコンを開いて一気に企画書を書き上げました。

 会社員時代の最後のほうでは採用面接も担当していたのですが、応募書類は何を言いたいのか分かりにくかったのに、会ってみたらすごく素晴らしい人がいたんですね。逆に、書類は立派に書いてあっても、面接ではうまく話せない人もいる。

 ブランクと言われて落ち込んでいたママさんも、もしかしてうまく伝えられなかっただけかもしれない。本当の実力を知ってもらえないことは、本人にとっても採用する側の企業にとっても損失。だから、そこのギャップを解消するトレーニングをすればいいんじゃないかと思ったんです

 応募書類の書き方、面接の受け答え、面接の服装やメイクで気をつけるべきこと、表情筋のトレーニング……。A4用紙1枚にまとめた企画書を、平井さんは名古屋市内のマザーズハローワークに持ち込んだ。

 「当時のハローワークにはパソコン講座くらいしかなかったので、こういうやわらかい内容があってもいいんじゃないかなと。考えてみれば、自分は無職のくせによく連絡しましたよね。職員の方はすごくきちんと話を聞いてくれて、企画は採用に。定員30~40人はすぐ満席になり、定期講座として開催されることになりました」

「講座の当日、ハローワークの偉い人たちが見学にやってきて、後ろにずらっと並んだんです。やりにくいな~と思っていたんですけど、表情筋のトレーニングのときに、どひゃどひゃ笑いながら『動かないな~』って一緒にやって盛り上げてくれました」
「講座の当日、ハローワークの偉い人たちが見学にやってきて、後ろにずらっと並んだんです。やりにくいな~と思っていたんですけど、表情筋のトレーニングのときに、どひゃどひゃ笑いながら『動かないな~』って一緒にやって盛り上げてくれました」

 講座のことが新聞で紹介されると、三重でも開催してほしいと依頼が舞い込んだ。しかし、「講師業」が順調に滑り出したのもつかの間、半年ほどたったところで夫の神戸への転勤が決まり、やめざるを得なくなった。

 「名古屋のハローワークの所長さんがすごくいい方で、大阪のハローワークにも私のことを伝えておいてくれたんです。でも当時は不況で、大阪では新しい講座を開く予算が取れないとのことでした。

 やってきたことがゼロになって最初はがっかりしましたけど、新しい環境になじめるよう子どもたちのケアを最優先にしつつ、次は何をやろうかなあと考えていました。そんなときに新聞を開いたら、面白そうなものが目に飛び込んできたんです